『ラストオブアス2』は、パンデミックによって荒廃したアメリカを舞台にしたアクションアドベンチャーゲームであり、前作から5年後の世界で愛する者を失った人々の復讐と赦しを軸に描き出す壮大な物語です。
一見、前作のような「緊張感あるサバイバルドラマ」という印象が強いものの、実際にそのディスクをセットしてコントローラーを握ると、初っ端からあまりの衝撃に「私の心臓は今日で終わりかな」と思うほど心に強い打撃を食らうこと請け合い。
本記事では、そのストーリーを
結末まで完全ネタバレ
しながら、物語の構成やキャラクターの心理、そして作品全体の深いテーマや考察に迫ります。
あらすじの整理から、作中に散りばめられた伏線・演出の意図、プレイヤーを翻弄する視点切り替えの真意まで網羅しますので、未プレイの方はくれぐれも注意してください。
プレイ済みの方には、
「ああ、このシーン……」
といったかすかな胸の痛みとともに、さらなる発見があるかもしれません。
復讐が復讐を呼ぶ連鎖の果てに、人々は何を得て、何を失うのか。
そして、本作が最終的に突きつける“赦し”や“選択”とは一体どのようなものなのか。
そのすべてを、じっくりと読み解いていきます。
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序章前作との関係と世界観のおさらい
世界観の基礎
本シリーズの世界は、Cordyceps(寄生菌)のパンデミックにより文明が崩壊したアメリカが舞台。
感染者と呼ばれるクリーチャーの脅威や、物資や領土をめぐる生存者同士の争いによって、社会は大きく後退している。
前作『The Last of Us』では、ジョエルという中年男性と、彼の護衛対象として現れた少女エリーのサバイバルの旅が描かれた。
エリーは寄生菌への免疫を持つ“特別な少女”であり、彼女の存在は世界にワクチンをもたらす可能性があると期待された。
しかし、エリーを解剖しなければそのワクチンを作れないことが判明すると、ジョエルは彼女を救うためにファイアフライの医師や兵士を多数殺してしまう。
ジョエルの行動によって、エリーの運命は大きく変わり、世界は(少なくともこの作品世界では)ワクチンを得る機会を失った。
前作のラストでジョエルがエリーに嘘をつき、
「ワクチンはできなかった」
「他にも免疫者がいるかもしれない」
とごまかしたまま二人はジャクソンに戻る。
『ラストオブアス2』は、その5年後を描いた作品だ。
ジャクソンでの共同体
舞台はワイオミング州にあるジャクソンという町。
ジョエルの弟トミーとその妻マリアが治める比較的平和なコミュニティで、門や塀を巡らせつつ、農業や家畜の飼育も行っている。
冬の厳しい気候と感染者対策のパトロールを欠かさず行うことで生存を維持している。
前作の旅を終えたジョエルとエリーもここに落ち着き、ある意味“父娘”的な生活を送るが、エリーはジョエルの嘘を薄々感じており、一部の回想シーンではジョエルを責める様子が映し出される。
エリーはすでに十代後半に差し掛かり、ジョエルと距離を取りつつも完全な絶縁状態ではなく、ギターの手ほどきなど、日常で交流を続ける。
ただし、彼女の胸には
「自分が本当に世界を救えたかもしれない」
という疑念や、
「ジョエルは何を隠しているのか」
という不信感が渦巻いている。
かといってジョエルを嫌いになりきれない。
この複雑な関係が、彼女を巡る物語の下地となる。
ジャクソンでの悲劇ジョエルの死
運命を変える邂逅
ある冬の日、ジャクソンの近郊をパトロールしていたジョエルとトミーは、雪山で大群の感染者に襲われ、そこへ偶然居合わせたアビーという若い女性と出会う。
アビーは“助けを求めている”風に振る舞い、ジョエルたちも彼女を助けるが、それはアビーにとっては計画のうちでもあった。
なぜなら彼女こそが、前作でジョエルが殺した医師ジェリーの娘であり、父を失った復讐心に取り憑かれてジョエルを探し回っていた張本人。
彼女は仲間とともにジャクソン近辺まで来ており、トミーの所在を手がかりにジョエルをおびき出そうとしていた。
二人(ジョエルとトミー)は彼女をまったくの第三者と疑わずに拠点へ同行し、結果的にアビーたちの“待ち伏せ”にかかってしまう。
ジョエルを宿に誘導した瞬間、アビーはその名を確認したうえで容赦なくショットガンを放ち、ジョエルの足を吹き飛ばす。
ジョエルとトミーは拘束され、やがてアビーが握るゴルフクラブによって、ジョエルは無残にも頭を砕かれてしまう。
エリーの目の前で
エリーは一方で友人ディーナ、ジェシーらと別ルートでパトロールに出ていたが、ジョエルが戻らないと知って必死に捜索し、ようやく辿り着いた建物の地下で“生き地獄”のような拷問シーンを目撃することになる。
アビーは執拗にジョエルを痛めつけ、息絶えるまでクラブを振り下ろし続けた。
駆け付けたエリーは何もできず、叫び声を上げながら床に押さえつけられ、その目の前でジョエルは絶命。
あまりにも突然で残酷な幕引きだ。
アビーはエリーまでも殺そうとするが、仲間が「やりすぎだ」と制止したため、アビーたちはトミーとエリーの命だけは見逃す形で撤退する。
こうして愛するジョエルを奪われたエリーは、破滅の入り口に立たされる。
彼女が抱く深い哀しみと強烈な憎悪こそが、本作のメインプロットを動かしていくことになる。
復讐へシアトルでのエリー編
仇を討つ決意
ジョエルの葬儀はジャクソンで執り行われ、エリーは胸をえぐられるような怒りと苦痛を味わう。
仇であるアビーたち(元ファイアフライ勢)が、ワシントン州シアトルに潜伏しているらしいという断片情報を得て、エリーは弟トミーとともに「絶対に復讐する」と誓い合う。
しかしトミーは妻マリアの制止を振り切って単身先行。
エリーは、友人ディーナを相棒にして追いかけるようにシアトルへ向かう。
シアトルは現在WLF(ワシントン解放戦線)という武装組織が支配しており、かつてのファイアフライが解散した後に多くがWLFへ流れ込んでいた。
アビーたちもそのメンバーとして活動しているのだ。
エリーは道中で感染者との戦いや、WLFとの小競り合いをくぐり抜け、目的地へ近づいていく。
パートナー・ディーナと妊娠
道中、エリーはディーナに対し様々な感情を抱く。
実はディーナは元恋人ジェシーとの間に子供を宿しており、それが発覚したことで旅の負担が増す。
一方で、エリーとディーナは親密な関係(同性愛的な要素を含む)になりつつあり、ディーナの存在がエリーにとって唯一の心の支えになっていく。
とはいえ、ディーナ自身も旅のハードさに体力を消耗し始めるため、シアトル市内の劇場を拠点として休ませる形をとらざるを得なくなる。
エリーは自分の執念深さを止めようとするディーナの言葉を聞きながらも、
「ジョエルの仇を取らなきゃ生きていけない」
と意固地になる。
ディーナはそんなエリーを責めきれず、共に行動しようとするが妊娠の問題で踏ん張りきれない。
これによってエリーは実質的に単独潜入を繰り返す。
復讐の第一歩仲間たちへの報い
エリーはWLFの通信を傍受し、ジョエル殺害時にいたメンバーの名を次々と割り出していく。
テレビ局ビルや病院などを巡り、情報を集めながら、その場にいた仲間を一人ひとり追い詰めては殺す。
特にノラという女性を追い詰めた場面では、感染者がうごめく地下でノラを痛めつけ、問い詰めるシーンがある。
ここでエリーは拷問スレスレの暴力を使ってアビーの居場所を聞き出すのだが、初めて
「人を残酷に痛めつけてまで目的を達成した」
という事実が、エリー自身を大きく傷つける。
シアトル2日目にはエリーが拠点の劇場へ戻ると、ディーナと再会し、自分がどれだけ酷いことをしたかを吐露してしまう。
しかしそれでも止められず、「水族館にアビーがいる」という情報を得た彼女は、最終日、さらに奥深くへ向かうことを決意。
共に来ていたジェシーやトミーも合流するが、エリーは「これ以上邪魔させたくない」と一人で突き進むようになる。
メルの死とエリーの自己嫌悪
水族館に到着したエリーは、オーウェンとメルというアビーの仲間と遭遇する。
飼い犬アリスをも殺してしまい、2人との格闘の末にオーウェンを撃ち殺し、メルの喉をナイフで裂いてしまう。
だが、直後にメルが“大きな妊娠腹”だったと知った瞬間、エリーは恐怖と自己嫌悪で嘔吐する。
「ジョエルを殺した奴らだから仕方ない」
とは到底思いきれない重さであり、復讐に突き動かされているはずの彼女も、ここで限界を感じる。
勝利感などまったくなく、むしろ取り返しのつかない一線を越えてしまったという衝撃。
ディーナが待つ劇場へ戻ったエリーは、冷や汗と嘔吐にまみれた姿で震え、ディーナに抱きしめられる。
ここでエリーは心が壊れかけているのを痛感させられるが、それでも「アビーだけは殺さなきゃ……」という執念を捨てられない。
劇場への急襲
エリー・ディーナ・ジェシー・トミーが劇場に合流し、疲れ果てた様子で「もう帰ろうか」という雰囲気になるが、その夜、暗闇のなかでドアを破って侵入してきたのは、なんとアビー本人だった。
水族館で仲間を殺され地図を見つけたアビーが、今度は逆にエリーたちを狙って反撃に来たのだ。
ドアを開けた瞬間にジェシーは頭を撃ち抜かれ、トミーも顔面を撃たれて倒れ込む。
アビーは銃を握りしめるエリーを圧倒し、「復讐を果たしてやる」と凄む。
実質的にエリーは死を覚悟するが、ここで物語は一旦“回想”のように視点が切り替わり、アビー編へ進む。
これが本作最大の驚きの一つであり、「敵の視点を丸ごと体験させる」パートの始まりだ。
アビー編もう一つの復讐者の物語
アビーの背景
アビーは、前作でエリーを解剖しようとした医師ジェリーの娘。
その父がジョエルに射殺され、ファイアフライも壊滅してしまった後、彼女は復讐を胸に生きてきた。
ジョエルを探し出すまでの間、彼女は元ファイアフライ仲間のマニー、オーウェン、メルらと共にWLFへ所属し、シアトルのスタジアムを拠点として新たな暮らしを立てていた。
しかし、その執念で鍛え抜いた肉体を以て、ジョエルを見つけ出し、実際に彼を殺してはみたものの、悪夢からは解放されない。
彼女は思い続ける。
「父の死は、ジョエルを殺しても戻らない」
それでも復讐心が消えなかった自分にどう折り合いをつければいいのか分からず、仲間のマニーやオーウェンに
「それで満足したか?」
と問われても答えられない。
そんな折、オーウェンがWLFの方針に嫌気がさして離脱し行方不明になるという事件が起きる。
レヴとヤーラ贖罪の象徴
ジョエル殺害から数日後、アビーはシアトル市内で敵対勢力セラファイト(スカー)に捕まり、処刑されかけたところを、少年レヴと姉ヤーラに救われる。
レヴはセラファイトから“禁忌を犯した存在”として追われており、姉とともに必死に逃亡していたのだ。
アビーは最初彼らを見捨てようとするが、重傷のヤーラを看護するうちに放っておけなくなり、二人を匿い、やがて共に行動し始める。
この姉弟との出会いこそ、アビーにとって転機となる。
父を失った悲しみを埋められず殺人に手を染めた自分が、今度はヤーラとレヴを守る立場となることで、人間性を取り戻すきっかけを得るのだ。
病院やビルの崩落地帯など危険地帯を突破して、ヤーラの手術用具を集めに行くミッションも壮絶で、アビーは自分の恐怖症でもある高所を乗り越えたり、ラトキングと呼ばれる巨大変異体と死闘を繰り広げたりする。
こうして彼女は憎しみに囚われていた自分自身と向き合い、誰かを救うために必死になる姿に変わっていく。
セラファイトの島へ
ヤーラが手術で一命を取り留めた後、レヴが家族を説得しようと単独でセラファイトの島へ戻ってしまい、アビーはヤーラと共にレヴを追う。
だが島ではWLFとの全面戦争が勃発し、アビーは自軍WLFの兵士たちからも敵視され、セラファイトの兵士からも命を狙われる挟み撃ちの状況へ。
混乱の中、ヤーラはアイザック司令に撃たれつつ、自らを犠牲にしてアビーを守るが、その直後に射殺される。
レヴは母親との悲しい衝突を経て逃げるため、アビーとレヴは炎上する島を脱出し、小舟でシアトル本土へ戻る。
こうして命からがら帰還したアビーは、再び水族館に戻るが、そこにはオーウェンとメルの惨殺死体が転がっていた。
さらに彼女の大切な飼い犬アリスも殺されている。
その場に残された地図から、犯人が「劇場に潜伏している一味」だと分かり、アビーはついに怒りを爆発させ「今度は自分が報復する番だ」と決意。
ヤーラを失った悲しみと、仲間を奪われた恨みを胸に、レヴとともに劇場へ向かう。
これがエリー編で描かれた“劇場急襲”へ合流していくのだ。
劇場での対峙、そしてレヴの制止
劇場に入り込んだアビーは、まずドアを開けた瞬間ジェシーを撃ち殺し、トミーにも重傷を負わせる。
舞台裏に隠れたエリーと対峙し、激しい恨みを込めてエリーを叩きのめし、さらにエリーの恋人ディーナも殺そうとする。
しかし、そこにレヴが「やめて!」と叫び止めに入った瞬間、アビーは我を取り戻す。
かつて自分を変えてくれたヤーラとレヴを思えば、ここでさらに復讐を重ねることがどれほど虚しいか分かっていたのだろう。
アビーは「二度と姿を見せるな」と言い捨てて、その場を去る。
エリー編はこの地点で一旦幕を下ろし、物語としては「アビーとエリーの復讐は痛み分けのように終わった」かに思える。だが、それが最終的な結末にはならない。
農場とサンタバーバラ最終決着
農場での日常とエリーのPTSD
その後、エリー・ディーナはシアトルから逃げ帰り、しばらく時が経ったのち、山間の農場に居を構える。
そこにはディーナが出産した男児・JJの姿もあり、一見すると平穏な家庭のようだ。
しかしエリーは夜な夜なジョエルが惨殺される悪夢にうなされ、心の安寧を得られない。
ディーナは
「もう十分だよ、ここで安らかに暮らそう」
と訴えるが、エリーは過去を振り切れず、自責とトラウマに苛まれ続ける。
そんなある日、トミーが訪ねてきて、アビーがカリフォルニア州サンタバーバラに現れたらしいという新情報をもたらす。
トミーは片目を失明し、足も引きずりながらまだ執念を燃やしており、エリーに「行ってくれ」と頼む。
ディーナは激しく止めるが、エリーは
「これを終わらせなければ自分もずっと苦しむ」
と呟き、農場を出てしまう。
ここでエリーは、本当に大切な安息を捨ててまでも、ジョエルのために復讐を完遂しようとするのだ。
サンタバーバラでのアビーとレヴ
一方アビーとレヴはファイアフライの残党を探し当てるため、サンタバーバラを訪れていた。
通信を使ってファイアフライらしき人物に接触できた喜びも束の間、地元の武装集団ラトラーズに襲われ、捕らえられてしまう。
アビーは杭に縛られるなど拷問され、レヴも奴隷のように囚われの身となっている。
そこへ、情報を追ってやってきたエリーがラトラーズのアジトに単身乗り込み、感染者をおびき寄せて警備兵を倒し、捕虜を解放していく。
満身創痍になりながら、ついにアビーのいる海辺へ辿り着くのだが、目に映るのは衰弱し髪を切り落とされたアビーの姿。
そして意識の薄いレヴ。
エリーにとっては「復讐を遂げる絶好の好機」でもあり、ある意味「こんな姿ではさすがに殺せない」という葛藤を突きつけられる瞬間だ。
最終戦エリーの選択
エリーはアビーを杭から下ろし、レヴを抱えさせ、共にボートのある浜辺へ移動する。
アビーはもはや戦う気力もなく、ボートで去ろうとするが、エリーは最後の最後に戦いを強要する。
結果として二人は波打ち際で水に沈み合う壮絶な死闘を繰り広げ、エリーがついにアビーを溺死させかける。
しかしその刹那、エリーの脳裏にジョエルとの最後の記憶がよみがえる。
そこには、エリーがジョエルを赦せないままであるとしながらも
「それでも赦したいと思ってる」
と伝え、ジョエルが
「それで十分だよ」
と答えたあの日の情景が。
ジョエルにとってエリーはかけがえのない存在であり、エリーもまたジョエルの行為を完全には否定しきれなかった。
あの夜の「赦し」を思い出したとき、彼女は復讐の連鎖を断ち切る道を選ぶ。
アビーの首を掴んでいた手を離し、「行け」と声をかける。
アビーは茫然としながらレヴをボートに乗せ、海へと漕ぎ出していく。
帰る場所を失ったエリー
エリーもまた、何とか農場へ戻るが、すでにディーナとJJは去っており、家は空っぽだ。
ジョエルが形見のように遺したギターを手に取るも、彼女は指を食いちぎられてしまったため弦を上手く押さえられない。
前作の終盤でジョエルが弾いた「Future Days」を奏でられなくなっている象徴的なシーンだ。
エリーは不器用に鳴らそうとするが、思うようにメロディは続かない。
結局ギターを置き、何もない外の世界へゆっくり歩き出す――そこで物語は幕を閉じる。
この最後のシーンは
エリーが指を失った=ジョエルとの思い出の象徴さえ失った
とも読めるし、
大切な人を全て失ったが、それでも命は続いていく
赦しを選んだ彼女に新たな可能性がある
とも読める、非常に余韻の残る結末である。
復讐の連鎖、赦し、多様性、そしてシステム面全体考察
ここからは『ラストオブアス2』の物語全体を振り返り、その根底にあるテーマ、構成の妙、演出の狙いなどを掘り下げていきます。
復讐と連鎖のテーマ
本作の主題はやはり「復讐」であり、互いを奪い合う行為がさらなる復讐を呼ぶ負のスパイラルを丁寧に、かつ残酷に描き出している。
ジョエルが前作で犯した暴力が、アビーを生み、アビーの暴力がエリーを復讐鬼にし、エリーの暴力がアビーを再び憎しみへ突き動かす――という無限ループだ。
制作陣は
「本作を通じて、暴力の先にある虚しさや、報復が与える破滅をプレイヤーに体感させたかった」
と明かしている。
実際プレイヤーの多くが、エリーが人を殺し続ける過程やアビー編での逆視点に耐えきれず、
「もうやめてくれ、こんなのツラすぎる」
と悲鳴を上げた。
その感情こそが制作者の狙いのひとつだったとも言われる。
二人の視点を操作させる構成
アビーが仇なのか、エリーが仇なのか。
プレイヤーは最初、ジョエルを殺したアビーを憎む。
だが中盤からアビー編を長時間プレイさせられることで、「彼女の側にも守りたい仲間や大切な思い出がある」と知る。
しかもそこにはレヴという少年との絆まで生まれており、一歩間違えれば自分のやっていることが
前作のジョエルや今作のエリーと“全く同じ”なのでは……
という疑念に気づかされる。
この視点反転は非常に挑戦的な構成で、「単純な勧善懲悪を期待していたプレイヤー」に激しい抵抗や拒否反応をも起こした。
一方でそれは「あなたが憎む相手にも事情がある」というリアルなメッセージを強烈に叩きつける試みとも言える。
本作に対する賛否両論の多くは、この視点切り替えに関わる。
ままならない現実結末の苦さ
結果としてエリーはほぼ全てを失い、アビーもまたボロボロの姿で海へ去る。
誰も真に救われないエンディングは、前作のようなやや希望に満ちた締め括りと比べてはるかに重く、茫然自失になったプレイヤーも多い。
しかし同時に
「そこまで描ききったからこそ、この作品には強い意義がある」
と称賛する声も根強い。
愛ゆえに犯罪に手を染めたジョエルの選択が、今作でさらに厳しいしっぺ返しとして描かれ、それでも最後にエリーが“復讐を手放す”という小さな一歩を踏み出す物語でもあるのだ。
多様性とジェンダーの描写
エリーが同性愛者であることは、前作DLC『Left Behind』でも描かれた要素だが、今作ではより自然に前面化している。
さらにレヴはトランスジェンダーとしてセラファイトに迫害される立場であり、組織の厳格な教義から逃亡したという背景がある。
本作は、こうしたLGBTQ+キャラクターや多様な人間関係を当たり前のものとして扱いつつ、世界の終末状態でもなお差別や宗教的狂信がはびこるリアリティを提示している。
これを
「ポリコレすぎる」
と批判する声も一部存在するが、多くのプレイヤーは
「むしろ自然な描写だ」
「ストーリー展開と深く結びついている」
と評価している。
アクション・ゲームプレイ面での特徴
ストーリーの重さに意識が集中しがちだが、ゲームシステム面でも大きな進化が見られる。
匍匐前進で隠れられるステルスアクション、対人戦や犬との追跡、ロープギミックなど、探索や戦闘の幅が広がり、難易度も選べるようになっている。
多彩なステルスキルやエリーとアビーでの武器違い、カスタム要素が遊び応えを生む。
一方、その暴力表現はよりリアルで、首絞めや銃撃による断末魔が凄惨に描かれる。
プレイヤーに罪悪感を抱かせることで「殺す」行為の重さを伝えている点も本作ならでは。
ストーリー進行としてはシアトル1日目~3日目をエリー編、次に同じ3日をアビー編という構成で繰り返すので、場所が重複する部分もあるがそれぞれの立場やルートの違いがあり、誰がどこで何をしていたかを補完する仕掛けにもなっている。
「アビーはもう一人のジョエル」説
ファン考察として、
「アビーはジョエルを失ったエリーの鏡像である」
と同時に、
「娘を失ったジョエルそのものでもある」
という見方が存在する。
ジョエルは娘サラを失った喪失感から暴力的な行動をも辞さない人物に変貌していた。
アビーも父を失い、自分を極限まで鍛え上げて仇を探す存在になった。
ある意味、
「もしジョエルがサラを失った直後に若かったらこうなっていたのでは」
と言えるようなパラレルをアビーが体現しているともいえる。
さらに終盤、アビーが瀕死のレヴを抱えて海辺を歩くシーンは、前作でジョエルがサラを抱えていたシーンに重なるように演出されている。
エリーがその光景を見て、自分とジョエルの思い出を重ね合わせ、最後にアビーを見逃す――という対比が組み込まれている。
作品に散りばめられた象徴ギターと蛾
エリーが腕に入れている蛾(モス)のタトゥー、そしてジョエルがプレゼントしたギターのインレイ模様にも蛾の意匠がある。
蛾は光に向かって飛ぶが、しばしば火に突っ込んで焼かれる
という暗示があり、まるで燃える憎しみに飛び込んだエリーの運命そのものだとも言われる。
ギターはジョエルとの繋がりを象徴し、エリーの心の糧でもあるが、エンディングでは指を失ったことでうまく弾けなくなり、さらにそれを置いて去る姿が描かれる。
つまり、復讐の果てに「ジョエルの面影すらも失った」ことを示す。
一方で
ギターを置く=復讐心を置いていく
という解釈もあり、決して単純な決別とだけは言い切れない余韻を残している。
エンディングの余韻
エリーが一人で去るラストをどう捉えるかはプレイヤー次第。
絶望とも希望とも取れる。
彼女は復讐の連鎖を終わらせたのだから救いがあるが、同時に失ったものが多すぎて、本当の意味で報われない。
誰もいない農場にギターだけが転がる光景は、全てを台無しにした復讐の虚しさと、少しだけ残された「ジョエルの愛」が入り混じる切ない結末になっている。
超論理的視点さらなる深堀り
ここからは、より俯瞰的で論理的なアプローチでいくつかの追加考察を試みましょう。
人間の視点だけでなく、メタな観点や心理学的な要素、開発者の意図などを織り交ぜて深掘りしていきます。
ゲーム構造とプレイヤー心理学
- 共感と拒絶のサイクル
プレイヤーは序盤からエリーに感情移入し、
「ジョエルを殺したアビー憎し」
と自然に思う。
そこから折り返しでアビー編に移行することで、アビー側のストーリーを疑似体験する。
人間の脳は一度敵認定した相手を操作させられると強い拒絶感が発生するが、その拒絶を乗り越えた先に
「相手にも大切なものがあった」
と分かると、一気に共感へ転じやすい。
これは心理学の認知的不協和の理論にも似た構造であり、制作者はこの不快感を意図的に演出していると考えられる。 - 道徳的ジレンマの強要
エリー視点では、「ジョエルの仇を討つ」という一見正当な行いが、多くの罪のない人々を巻き添えにしている。
アビー視点でも同様に、「父の仇を討つ」ためにジョエルを殺したが、そこにやり場のない虚しさが残る。
プレイヤーはどちらが正しいか決めきれないまま“仕方ない”という妥協を覚える。
この道徳的ジレンマを突きつけることで、暴力の連鎖の愚かしさを身をもって味わわせている。
復讐の犠牲指を失う暗喩
エリーが終盤で指を2本失ったことは、純粋な身体的損傷を越えた意味を持つ。
ギターを弾く行為は、ジョエルがエリーに与えた“普通の生活”や“愛”を象徴する一つのメタファーだが、復讐を追うことで
「ジョエルとの絆すらも破壊してしまった」
ことを指の喪失で表している。
ここに強い悲劇性があり、なおかつアビーを見逃して帰るという行為は、「ジョエルとの思い出を失った」代償で「自分の魂を取り戻した」かのようにも読める。
この多層的な象徴表現が本作の文学性を高めている。
“愛”の両刃
前作から一貫して、『ラストオブアス』シリーズは「愛が人を救いもするし、破滅にも導く」というテーマを描く。
ジョエルはエリーを救うために世界を見捨て、アビーは父の愛を原動力にジョエルを惨殺し、エリーはジョエルへの愛で血塗られた復讐街道を進む。
愛は尊く美しいが、一歩違えば残酷な暴力や執着に変わる。
これをありのままに突き詰めている点が、他のサバイバルホラーとも一線を画す深みを生み出している。
作品全体の評価・衝撃と賛否
本作は発売当初、大きな波紋を呼んだ。
ジョエルを序盤で惨殺する展開、アビー操作パートの長さ、リアルすぎる暴力描写などに対して、
「こんなの望んでなかった」
という批判の声が起こる一方で、
「これほど強烈に感情を揺さぶる作品は他にない」
「ゲーム表現の新たな到達点」
と絶賛する声も多かった。
結果的には各種ゲーム賞を総なめにし、高い評価と激しい不満が入り混じる問題作として知られるようになった。
多くのAAA級ゲームがプレイヤーに“快感”や“爽快感”を提供するのに対し、本作は“苦痛や不快感を覚悟で、復讐の無意味さを味わわせる”ことを選んだ、非常に挑戦的なタイトルだとも言える。
売上は大きく伸び、メディアレビューでのスコアは高いが、ユーザースコアでは極端な低評価と高評価が入り乱れる。
これこそ本作の象徴的な状況であり、“受け手を選ぶ”作品とも言い換えられるだろう。
ラストオブアス2が残したものまとめ
本記事では、『ラストオブアス2』のストーリーを冒頭から結末までネタバレしつつ、その構成やテーマ、キャラクターの感情の動きを網羅的に解説してきました。
前作との繋がり、ジョエルの死に対するエリーの怒り、アビーが抱える喪失、そして物語を大きく二分する視点切り替えによる対立のクライマックス――果てには、エリーとアビーが互いを生かし合う形で収束する展開。
どこをどう切り取っても、人を選ぶほど重く悲痛な物語でありながら、一度プレイするとその没入感から逃れられない強烈な魅力があるのも事実。
キャラクター同士の絡みや伏線の妙、そしてフォトリアルなグラフィックやリアルすぎる演出が相まって、一作品としての完成度は非常に高い。
復讐に潜む“答えのなさ”
誰かを愛し、失った悲しみから暴力に走る。
それをまた別の誰かが見て恨み、報復に来る。
作中でエリーが水族館で犯した行為や、アビーが劇場で行った行為は、
「敵からすればこちらが悪魔に見える」
という事実を生々しく見せつける。
人間の視点によって善悪が揺れ動くさまは、ゲームで体験するからこそより強く刺さるだろう。
相互理解と“見逃す”行為
エリー編とアビー編を通して、「誰かを本当に知る」というのは、実はものすごく根気がいる行為なのだと痛感させられる。
プレイヤーが嫌々でもアビーを操作し、彼女の仲間や葛藤を知るにつれて、最後にエリーがアビーを殺さずに済んだのは、ある種の相互理解が起こったからではないか――そんな示唆も含まれる。
実際、劇場でアビーがディーナを殺す寸前にレヴが止めたシーン、サンタバーバラでエリーがアビーを殺す寸前にジョエルの記憶がよみがえるシーンはともに「あと一歩のところで報復を回避する」瞬間だ。
ここに本作の救いがかすかに残っている。
テーマに貫かれた文学性
多くのファンや批評家が指摘するように、『ラストオブアス2』にはゲーム的快楽だけではなく、文学や映画にも匹敵する重厚なドラマとメッセージ性がある。
世界観そのものはポストアポカリプスだが、実質は人間同士の憎悪や愛を多面的に描くヒューマンドラマと言っても過言ではない。
そこに前作の「親子のような愛」を破壊する形で続編を組み立てたのが、制作者の胆力であり、同時に賛否の源である。
愛するものを守ろうとする行為が、別の誰かを絶望に突き落としているかもしれない――そんな普遍的な問いを突きつける意欲作だ。
実際にプレイする価値
本記事ではストーリーと考察をかなり詳しく書いたが、実際にプレイして体験する衝撃はまた別格である。
細かい演技、息遣い、回想シーンや日記の文面、仲間たちとの何気ない会話など、文字だけで伝えきれない魅力が多分にある。
もし本記事を読んだあとで「想像以上に重い話だ」と感じても、あえて挑戦してみると、あなたなりの解釈や感情がきっと生まれるはずだ。
失ったものと、最後に手に入れたかもしれないもの
エリーは指を失い、大切な日常も失った。
アビーは仲間を次々に喪い、衰弱しながらボートで去る。
シアトル編、サンタバーバラ編の果てに、登場人物たちは憎しみだけでなく、かけがえのない存在(レヴ)や自分の人生に対する向き合い方を獲得しているようにも見える。
エリーは赦しという選択をギリギリで取ったし、アビーは「誰かを守る」という行為を通じて自身のトラウマを超えようとした。
希望か絶望か、その解釈は人によって異なるだろうが、この二人の歩みを見たプレイヤーの記憶には、きっと鮮烈に焼き付くものがある。
最後に
本作は、前作をプレイしている人ほど衝撃を受ける内容かもしれない。
ジョエルというキャラクターを好きだったファンが数多く、彼をあそこまで悲惨な形で失わせるとは誰も想像していなかった。
一方で、エリーが血塗られた復讐を行う物語は、“ゲームは爽快であるべき”という常識を打ち破る大胆さを持つ。
その結果、生まれたのは
「もう二度とやりたくない」
と口にするほど心的ダメージを負う人と、
「こんなにも胸を抉られるゲームは初めてだ」
と賞賛する人の激しい二極化。
しかし、そのどちらの反応も含めて、この作品が触れた人間の感情の根源にある壮絶さを示している。
振り返ると、エリーはジョエルを完全に赦せてはいなかったが、その最期の夜に「でも赦したいと思う」と言葉を交わし、ジョエルは「それだけでも嬉しい」と受け止めた。
その会話がエリーの中に残っていたからこそ、彼女はアビーを許す道を選ぶ(厳密に言えば見逃す道)に至ったのではないか。
復讐を重ねた結果として失ったものは計り知れないが、彼女がほんの少しでもジョエルの愛に救われたとすれば、それが救いなのかもしれない。
以上、『ラストオブアス2』の物語を冒頭から結末まで整理し、その中で描かれるキャラクターの内面や演出意図、作品の根幹にあるテーマを考察してきました。
痛々しく、残酷で、ある意味“エンタメ性”から外れるほど重いのに、これだけ多くの人を魅了した理由は、本作が突きつける問いがあまりに人間的で普遍的だからでしょう。
誰かを愛すること、失うこと、そして報いとしての復讐。そこに一筋の赦しの光が差し込む瞬間を、本作は容赦ない形で突きつけてきます。
もし未プレイで興味を持った方なら、ネタバレを知ったうえでもプレイする価値は十分にあります。
実際に操作して感じるアビーの筋肉の重さや、エリーが震える指先、シアトルの雨音、ジョエルのギターの旋律……文字では伝えきれない空気感こそが、『ラストオブアス2』という作品の大きな魅力でもあるからです。
憎しみに満ちた世界だからこそ、そこに見え隠れする人間の優しさや絆がいっそう切なく美しく映ることでしょう。
「愛する者を守るための行いが、別の誰かの憎悪を生んでいるかもしれない」
という、作中の人物だけでなくプレイヤー自身にも向けられた苦い問い。
それがあなたの心に何をもたらすのか、ぜひ体験してほしい――そう感じるのが、この物語と出会った後の正直な思いです。