ドラクエシリーズといえば、日本のRPGを語る上で絶対外せない国民的タイトル。
たとえば駅前とか商店街とかで、あのフィールド曲や「テレレレッテッテッテー」みたいなレベルアップ音が流れると、思わず足取りが軽くなる経験、ある方も多いのではないでしょうか。
「外では恥ずかしい? いやいや、私は平気よ」
なんて心の声が漏れそうです。
そして、その中でも絶大な人気を誇るのが「ドラゴンクエストIV・V・VI」という三部作――通称「天空シリーズ」。
しかし実は、この三部作、発売順とストーリーの時系列が異なるとか、シリーズの世界観が密接に繋がってるとか、意外に深い設定があることをご存じでしょうか。
この記事では、そんな天空シリーズを「ドラクエVI→IV→V」の順番、いわゆる“物語の時系列”の流れで徹底的に掘り下げます。
あらすじも結末も遠慮なくネタバレ全開なので、未プレイの方は目を皿にして閲覧するか、あるいは急いでブラウザバックするか、ご判断を。
何ならネタバレ全然OK!
という人には、うってつけの読み物です。
なお、執筆にあたって、人生経験と突飛な想像力を全力で総動員しておりますが、いかなるトリビアも
「なるほど〜」
「そりゃ知らんかったわ」
と面白がっていただけると光栄です。
基本的に真面目なんですが、シュールでユーモラスな表現も時々まぜっ返すタイプですので、そのへんは一つご容赦を。
では早速、天空シリーズ三部作の世界へとご案内しましょう。
執筆者が徹夜明けの寝ぼけた頭でひねり出したギャグも隙間にちょこちょこ紛れ込んでいますが、お茶請け程度に楽しんでいただければと思います。
それではロング・ロング・アゴー、はるかな天空へ――。
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そもそも“天空シリーズ”って何?
ドラゴンクエストIV(導かれし者たち)、ドラゴンクエストV(天空の花嫁)、ドラゴンクエストVI(幻の大地)の三作品は、いずれもゲーム冒頭や中盤、終盤に“天空城”あるいは“ゼニスの城”という空に浮かぶ不思議な城や、マスタードラゴン(天空を司る神竜)の存在がちらつくことから、ファンの間で「天空シリーズ」と呼ばれてきました。
公式ガイドブックやゲーム内テキストなどにも、その繋がりを示唆するヒントが散りばめられています。
とりわけドラクエVIでは、エンディングで
「夢の世界の城が現実世界に残り、あの名もなき幼い竜が後に大きく成長して、天空を支配する竜=マスタードラゴンになるかも?」
みたいな描写があるため、そこがIV・Vで見られる天空城に繋がるんだな、と確定的な流れになったわけです。
しかし、各作品は本来発売順が「IV→V→VI」になっています。
だけど、物語内の時系列では「VI→IV→V」。
つまり「リリースされた順番じゃなくて、年代としてはVIが一番昔、次がIV、最後がV」。
このズレがまたファン心をくすぐり、
「そんな連なりがあるなら全部まとめて遊んでみよう」
と意欲を掻き立てるポイントでもあるのです。
ざっくりとした特徴
- ドラゴンクエストVI 幻の大地
“最古の時代を描く”:夢の世界と現実世界が交差する壮大な冒険。主人公や仲間が自分探しをしつつ、世界の境界を正す物語。ラストで“ゼニスの城”が現実に実体化し、マスタードラゴンの誕生を示唆。 - ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
“天空城が地上から見上げられる時代”:魔王デスピサロと、人間界を救う勇者(天空人の血を引く)が主役。オムニバス形式で、ライアンやアリーナ、トルネコなど複数の主人公視点が一つに束ねられる。 - ドラゴンクエストV 天空の花嫁
“親子三代にわたるストーリー”:IVの時代からさらに長い年月が経過し、主人公はあくまで“勇者の父”ポジション。勇者は自分の子供として登場し、家族ドラマが繰り広げられる。最終的に大魔王ミルドラースを討伐し、天空城とマスタードラゴンも大活躍する。
このようにして三作品を並べて見ると、
「あー、なるほど確かに“天空”というつながりがあるのね」
と腑に落ちます。
しかもどの作品もドラマチックな出来事がてんこ盛りで、「泣かせどころ」も多い。
ドラクエの魅力である“王道RPG感”を味わいつつ、“天空城”の存在がシリーズ全体を横に走っている感じですね。
ここからは、思い切って「VI→IV→V」の順番で詳しく語りましょう。
各タイトルのあらすじと結末をネタバレ上等で全部さらけ出しますので、「まだプレイ予定がある人」はご注意を。
でも、天空シリーズはネタバレしてても実際遊ぶとやっぱり面白いもの。
ご興味あればぜひ最後まで読んでみてください。
時系列最初の物語ドラゴンクエストVI 幻の大地
VIが最初の物語とされる理由
「IV、V、VIの中で、なんでVIが一番古い時代なの?」
という疑問は、プレイしていないとピンと来ないかもしれません。
が、VIのエンディングで
“夢の世界のゼニス城”が現実世界に定着し、そこから未来へ続いていく
という描写が入るので、ああこれが天空城の始まりなんだな、というのがファンの共通認識。
公式資料やイベント台詞でも、VI→IV→Vの時系列が示唆されているため、もうこれは確定事項だといえます。
夢の世界と現実世界が交差する舞台
DQVIの独特なところは、冒頭からして
「主人公たちが魔王ムドーに挑んでいる」
⇒でも敗北
⇒実はそれが“夢”だった
という二重構造。
- 主人公:山里の村レイドックで暮らしており、姉のように慕うターニアと生活中。実は“夢の中で勇者やってた記憶”らしきものをぼんやり抱えている。
- ハッサンやミレーユ:後に主人公の仲間として合流。彼らもまた、“夢の中の姿”と“現実世界の姿”が微妙に異なる。
おそらくドラクエシリーズの中でも、この“夢と現実の二重構造”は斬新で、一種メタな感覚を味わわせる設定と言えます。
私は最初プレイしたとき、
「あれ?さっきゲームオーバー?いや夢オチ?」
と若干混乱しましたが、こういう不思議演出がVIの醍醐味ですね。
ムドーを倒しても終わらない真の大魔王デスタムーア
ストーリー中盤で、主人公たちは魔王ムドーを討伐します。
「えっ、もう魔王倒しちゃったの?」
ってなるわけですが、もちろんそれで終わりません。
実はムドーはあくまで手下に過ぎず、真の黒幕たる“大魔王デスタムーア”が世界を脅かしている。
なので、ムドー倒したあとも、夢の世界と現実世界の混乱は未解決。
主人公は “自分自身の正体”を探る過程で、衝撃の事実を知ります。
なんと、自分が実はレイドック王国の王子であり、でもなぜか存在が忘れられている。
この「名前も姿も記憶から抜け落ちていた王子」というのがVIの大きなテーマの一つ。
主人公の正体夢の住人でもあり、現実王子でもある
- 夢世界で暮らしていた主人公は、もともと“現実世界の王子”だったはずが、何かの理由で現実世界での存在が抜け落ちてしまった。
- 王や国民たちが、「王子は昔、何らかの事件でいなくなったけど、記憶にもはっきり残っていない」というようなあやふやな認識をしている。
後々仲間になるミレーユ、ハッサン、バーバラ、チャモロもそれぞれ現実と夢の姿・役割が違っていて、それを探りながら旅する展開は一種の“ファンタジー大河ドラマ”という感じ。
DQVIは職業システムなどゲーム的にも面白いですが、ストーリー的にも独特の味わいがある作品です。
大魔王デスタムーアとの決戦と、切ない別れ
最終的に主人公たちは、デスタムーアが支配する“嘆きの牢獄”へ乗り込み、激闘の末これを撃破。
夢の世界と現実世界の境界が正され、世界の平和が戻ります。
しかし、その代償として“夢の世界”自体が消滅する運命にある。
ここで、主人公が慕っていたターニアや夢側の人々とのお別れがすごく切ないポイント。
「一緒にいたいけど、存在ごと消えゆく」
というシチュエーションは、童話的な儚さを感じますね。
けれど、その時ふと空には大きなタマゴのようなものがあって、そこから小さなドラゴンが生まれます。
光に包まれた“ゼニスの城”が現実に残り、主人公たちの目の前で
「これは後にマスタードラゴンへと成長する存在」
ということを匂わせてエンディングへ。
エンディングゼニスの城=後の天空城
エンディングで現実世界に残った“ゼニスの城”が、後のIVやVで“天空城”と呼ばれるものに受け継がれる――。
ここがVIが最初の時代だと言われる最大の根拠です。
また、VI本編では“天空人”という種族は登場せず、あくまで夢の世界にいたゼニス城が現実へ移行しただけ。
その城で暮らす存在や“マスタードラゴン”が、次の世代で“天空人”として地上を見守っている。
そんな発展を想像させてくれる流れがロマンを掻き立てます。
リメイク版・外伝での追加情報
- 裏ボス「ダークドレアム」:一定ターン以内で倒すと、デスタムーアを一蹴するムービーが入る。ファンの間で「ダークドレアム強すぎでしょ……」と衝撃を与えた。
- テリーのワンダーランド:DQVIの仲間キャラ“テリー”の少年時代が描かれ、彼がモンスター世界を冒険して強くなった経緯が明かされる。
ここまでがDQVIのおおまかな内容です。
割と切なく、かつ壮大なスケールの物語。
私個人としては、“夢と現実”の設定にやや混乱しがちな反面、分かったときのカタルシスが大きい作品という印象。
夢の世界で出会った人々が消えていく場面は、胸がキュッとなりますが、同時に「ゼニス城」が残った未来への希望があるというバランスがとても魅力的ですね。
天空シリーズ中編ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
VIから数百年後の世界
VIで生まれ落ちたゼニスの城(現実世界バージョン)が、やがて天空城として地上の人々に語り継がれ、そこに天空人が住まうようになった――そんな背景を経て、DQIVの物語は始まります。
IVの舞台は、中世風の世界観。
主人公(天空人の血を引く勇者)が生まれ、「魔族の王=デスピサロ」との戦いがメインテーマになります。
もっとも特徴的なのは、「章立て」で複数の仲間たちの物語が進行し、最終的に合流するオムニバス形式です。
第1〜4章個性豊かな仲間のエピソード
- 第1章「王宮の戦士ライアン」
イムル王国の戦士ライアンが主人公。
各地で子供がさらわれる事件を追いかけるうちに、どうやら魔物が“伝説の勇者”を探しているらしい?と気づく。 - 第2章「おてんば姫アリーナ」
サントハイム王国の姫アリーナが神官クリフト、魔法使いブライとともに武闘修行をする。
サントハイムに起こった怪異(住民が突如消えたなど)を解決すべく旅に出る。 - 第3章「武器屋トルネコ」
商人トルネコが主人公。
ひたすら金策や商売を拡大しながら、いずれ勇者の旅を助ける“道具”を入手する。
ドラクエならではの“商人”視点が味わえるユニークな章。 - 第4章「モンバーバラの姉妹」
踊り子マーニャと占い師ミネア姉妹が、父を殺したバルザックへの復讐に燃える物語。
魔族の手先キングレオとの戦いに巻き込まれ、苦戦しつつも未来へ繋がっていく。
第5章導かれし者たち~勇者登場
上記4章はそれぞれ違う主人公視点で進むため、最初は「誰が本当の主人公?」状態ですが、第5章で満を持して登場する“勇者(プレイヤーキャラ)”こそがメイン。
- 勇者は山奥の村で育てられていたが、魔族の指令で村が襲われ、育ての親や村人が犠牲に。天涯孤独に。
- 世界各地を旅する過程で、第1〜4章の仲間たち(ライアン、アリーナ、クリフト、ブライ、トルネコ、マーニャ、ミネア)と次々合流。
- こうして“導かれし者たち”が一堂に揃い、魔族の王デスピサロに立ち向かう。
つまりDQIVは一種の群像劇であり、最終的に勇者パーティーが8人規模という賑やかな大所帯になるのも特徴。
各キャラの色が強く、一つ一つの章がしっかりした独立した物語を持っているので、遊んでいて飽きません。
魔族の王デスピサロ&進化の秘法
IVの敵サイドは“魔族”と呼ばれ、人間世界の侵略を企図しています。
特に“デスピサロ”は魔族の王として絶大な力を持つ反面、彼の動機は「人間への復讐心」。
- デスピサロの恋人ロザリー(エルフの娘)が、人間たちに酷い扱いを受け殺されてしまった。
- 怒り狂ったデスピサロは「進化の秘法」を極め、究極の存在になって人間を根絶やしにしようとする。
途中で“地獄の帝王エスターク”が目覚める展開もありますが、これも進化の秘法絡み。
勇者たちはエスタークを倒すものの、デスピサロはさらにその先の進化段階へ。
最終ボス戦では何段階も姿を変え、最終的に“怪物”みたいな見た目になります。
エンディング天空城へ招かれる勇者
デスピサロを倒し平和を取り戻した後、勇者たちは天空城(ゼニス城)に招かれます。
ここで明かされるのが、
「勇者は天空人と人間のハーフ」
であるという設定。
どうやら天空界の掟で、人間と天空人の恋愛はタブー視されていたらしい。
- 勇者の母は天空人で、地上に降りて人間の木こりと恋をし、子供(勇者)を産んだ。
- その罰か、あるいは運命か、父は落雷で命を落とし、母は天空界へ連れ戻された。
- 勇者は赤子のまま地上に残され、育てられた――。
こうして“天空の血を引く存在だからこそ、天空の装備を扱えるし魔王を倒せる”という構図が明確になるわけです。
最後には命を落とした育ての親同然の人物を蘇らせるイベントがあり、勇者が故郷に帰還して物語は一件落着。
その後、天空城は再び天高く昇って地上からは見えなくなります。
リメイク版の追加「第6章」
オリジナルのDQIVにはなく、PS版やDS版で追加されたストーリーとして、第6章があります。
ざっくり内容をまとめると:
- ロザリー殺害の真犯人が実は“エビルプリースト”であると判明。
- ロザリーを蘇生し、暴走していたデスピサロが彼女に呼びかけられて正気に戻る。
- デスピサロは勇者と共闘し、エビルプリーストを倒す。
いわば敵にもドラマがある、というDQIVらしい展開がさらに強化され、ロザリー&ピサロの救済という形で追加エンディングが描かれるわけです。
個人的には「魔王が味方になる」という展開にぐっと心躍るものがありました。
IVが示す「天空シリーズ」の核心
- 天空城(ゼニス城)は既に“神の城”のように存在しており、マスタードラゴンが支配。
- 勇者は天空と人間のハーフ。
- 魔族側にも悲哀があり、特にデスピサロとロザリーの悲恋は有名。
VIの続編的世界観として位置づけられるのが自然で、ドラゴンクエストIVはまさに天空シリーズの中編。
まだ“天空人”という種族の具体的な日常は描かれませんが、地上からは神話の住人のごとく崇められている感じです。
天空シリーズ後編&完結編ドラゴンクエストV 天空の花嫁
IVからさらに約100年後
DQVの時代設定は、IVの物語終了から“百年ほど経過した世界”とされています。
IV時代の勇者の子孫がどこかにいる、天空城は伝説として語られている、といった世界観です。
しかし最大の特徴は、「主人公は勇者ではなく、その子供が勇者になる」点。
過去のドラクエシリーズでは基本的に主人公=勇者でしたから、これが当時としては衝撃的でした。
結果的に“家族三世代物語”という、RPGとしては異例のスケールを持つ物語が展開されることに。
幼年期父パパスとの旅、幼馴染ビアンカとの出会い
冒頭、DQVの主人公は小学生くらいの男の子。
父パパスと2人旅を続けている。
- 幼馴染ビアンカとホラーな古城で幽霊退治の冒険を経験(ちょっと怖いけど微笑ましいエピソード)
- 「父は何やら大きな目的を持っているっぽい」
- 妖精の国が見えちゃったり、魔物と心を通わせる力があるっぽい主人公
しかし中盤、あっさりと悲劇が訪れます。
父パパスが邪教集団“光の教団”の幹部ゲマに殺され、主人公は幼いまま奴隷として連行される――。
これがDQVの衝撃的な少年編のクライマックス。
幼い主人公がなす術なく目の前で父が……という、絶望感を強く演出した大事件です。
青年期前半奴隷脱出と結婚
さらに10年の年月が流れ、青年に成長した主人公は同じ奴隷仲間ヘンリーとともに脱走。
- 奴隷生活で鍛えられた(?)せいで逞しくなっている。
- 父の遺志を継ぎ、「母を探す」「伝説の勇者を探す」旅へ。
ここでかつての幼馴染ビアンカ(あるいは大富豪ルドマンの娘フローラ、リメイク版ならデボラ)の誰かと結婚することになる「花嫁選びイベント」がDQVの大きな話題。
この結婚によって、主人公はグランバニア王国の王位を継ぎ、花嫁は王妃となる。
そして「ドラクエ史上で最も有名な分岐イベント」といっても過言ではないでしょう。
わたしは初回プレイで「即ビアンカ派」だったのですが、後年「いやフローラ派もなかなか」「デボラ様のツンデレも面白い!」など意見が割れて、そこが盛り上がる要因ですよね(とはいえビアンカ派の根強さはすごい、という印象です)。
石化の悲劇
しかし幸せムードも束の間、主人公と新妻はまたしても光の教団の魔の手に囚われ、主人公は石像にされてしまいます。
しかもなぜかあちこち転売されて、何年も倉庫に放置されるという壮絶な日々。
石像として意識だけはあるらしいから、想像するだけでどれほど辛いか……
もう考えたくありません。
青年期後半石化解除~子供たちとの冒険
さらに8年後。
倉庫の片隅でホコリをかぶっていた主人公を救うため、双子の子どもが現れます。
- 息子レックスと娘タバサ(名前はプレイヤーが決めることもある)
- なんと彼らはまだ小学生くらい。
聖水を使って父を救出する。
石化状態から解放された主人公が自分の子供の姿を初めて見て、
「こんなに大きく……」
と驚く展開は、もう涙なしに見られないわけです。
おまけに妻は依然として行方不明のまま。
というか息子と娘は、自分たちの母を助けるために旅を続けていたのです。
息子が“天空の勇者”だった
DQVの最大の衝撃ポイントが、
「父である主人公は勇者ではなく、息子が天空の装備を扱える本物の勇者だった」
という事実です。
- 主人公は勇者ではなかったけど、古くからの予言にあった「天空の勇者」は自分の子供だった。
- IVの勇者(天空人と人間のハーフ)からさらに時が流れ、その血統が遠く繋がり、ここで息子が本当の勇者として目覚める。
こうして“勇者(息子)+主人公(父)+娘(妹)+仲間モンスター”という不思議なパーティが完成。
家族総出で魔界の敵と戦うRPGという、他に類を見ない構図がDQVの魅力ですね。
妻の救出とマスタードラゴンの力
物語終盤、さりげなく登場する“プサン”という老人が、実は力を失って地上をさすらっていたマスタードラゴンだと判明し、妻を石化から解放。
主人公一家がついに再会します。
このくだりは、かなり感動度が高いです。
筆者の脳内BGMは勝手に「家族愛のテーマ♪」みたいなのが流れたりします。
ドラゴンクエストっぽい王道を貫きつつ、“家族で魔界に突撃”というのは当時として衝撃的でしたし、今でも印象に残る場面の一つ。
大魔王ミルドラースとの決戦
最終的に主人公一家と仲間たちは、魔界の大神殿へ乗り込み、大魔王ミルドラースとの激闘を繰り広げます。
倒すカギとなるのは“天空の勇者”である息子の力。
IV同様に、天空の装備がフル活躍してラスボスを撃破。
ここまで波乱だらけだった主人公の人生が、やっと大団円を迎え、家族とともに王国へ凱旋するエンディングは胸を熱くします。
DQVが“最も泣けるドラクエ”と言われる所以ですね。
主人公の母マーサ
終盤、主人公の母が“エルヘブン”という古い血統の民であり、魔界の封印を守っていた人だったと明かされます。
彼女も長く魔界に囚われていたが、主人公たちによって救出される(もしくは一時再会して息絶える説など、リメイク・イベントで微妙に描写が違う)。
こうしてDQV世界の謎は一通り回収され、シリーズ通して“天空人の血”と“エルヘブンの民”が複雑に絡み合っていたことが分かるわけですね。
DQVのエンディング家族が紡ぐ物語
ミルドラース撃破後、崩壊する魔界から無事に戻り、主人公はグランバニア国王。
息子・娘と仲間モンスターたちが祝福する結末は、ドラクエシリーズ屈指の感動的クライマックス。
「そっか、主人公自身は勇者じゃなかったけど、子供たちが勇者だったんだよね……」
という斬新な構図と、父の思い出(パパス)まで含めると三代続く壮大な流れが一本筋になっている。
この“血の繋がり”が、まさに天空シリーズのテーマにぴったり当てはまっています。
リメイク版の追加要素
- デボラ(DS版):フローラの姉で、ものすごく気が強い。花嫁選択肢に加わり、さらなる“どれを嫁にするか論争”を巻き起こした。
- 裏ダンジョン:エスターク再び:IVに出た地獄の帝王エスタークが、実はVの時代でも封印され眠っていた。
- 過去のエルヘブンイベント:クリア後特典で、若かりし父パパス&母マーサに出会うなど、時を越えたエピソードがほろ苦い感動を誘う。
天空シリーズ三部作を貫くテーマ
- 天空城とマスタードラゴン
VIのラストで生まれたゼニス城がIVで“天空城”として地上を俯瞰し、Vでも“天空城”が飛行手段などで大活躍。
この城とマスタードラゴン(神竜)が、まさに「神話的存在」として世界を見守っている。 - 天空人の血筋
ロトシリーズ(I〜III)では「主人公=勇者」が当たり前でしたが、天空シリーズは「天空人と人間のハーフ」という異種族混血が大きな鍵。
IVの勇者はその混血本人、Vの勇者は主人公の子供であり母系に天空の血を受け継いでいる、といった複雑な世代交代が描かれています。 - 親子の愛、仲間との絆
Vで特に顕著ですが、IVも群像劇の結束力、VIも夢と現実での仲間との繋がりを描く。
悲劇の要素がありながら、最後には家族・仲間と共に世界を救うという王道を踏襲。 - 時系列を超えた大きな歴史の流れ
- VIで夢世界から現実へ渡ったゼニス城が、IVで天空の民とともに存在感を増し、Vで主人公一家を助ける。
- 魔族やエルフ、エスタークなど異種族の存在が連続して登場し、作品間の時代の繋がりを感じさせる。
これら全体を俯瞰すると、天空シリーズは“ロトシリーズ”とは別の神話体系を確立したドラクエの一大柱といえます。
一作品ごとでも面白いけど、三部作をまとめて見るとさらに味わい深いのが醍醐味。
ロトシリーズのストーリーを時系列順にあらすじ結末ネタバレ【ドラクエ】
時系列で遊ぶ?それとも発売順で遊ぶ?
ここでよく話題になるのが、「プレイするならどの順番がオススメ?」という疑問。
- 発売順(IV→V→VI):制作の流れを感じられるし、システムの進化を素直に楽しめる。
- 時系列順(VI→IV→V):物語世界の繋がりを重視し、天空城の成り立ちや血筋を把握しやすい。
個人的には、
「初めてなら発売順、二周目なら時系列順」
もありかなと思います。
IVとVの古さ・新しさがそれぞれあるので、システムの変化を体感したいなら発売順が自然。
一方で、VIのラスト→IVの天空城→Vの親子三代という流れをじっくり体験したい方は、時系列で見るとよりロマンティックな見方ができるでしょう。
より深く楽しむポイントと考察
さて、ここまでで各タイトルの概略はおおむね語り尽くした感がありますが、さらにマニアックな視点でツッコミを入れてみたいと思います。
わたしの脳内にも謎が渦巻いており、そのいくつかは考察の余地がある面白いポイントです。
マスタードラゴンって何者?
VIエンディングで生まれ落ちた“小さなドラゴンの赤ん坊”が何百年かけて大きくなった存在が“マスタードラゴン”。
IVやVでは人の言葉を喋り、人間(天空人)とコミュニケーションをとっている。
- 一方、Vでは一時的に力を失って地上をうろうろした“プサン”という老人キャラになっていたりする。
- どういう原理で人間形態になれるのかは謎。
でもファンタジーなので
「まあそういう変身能力があるんでしょ」
と考えるしかないですね。
天空人はどうやって増えたのか?
VIでは姿さえ登場しない“天空人”。
IVではけっこうしっかり天空城に人々が暮らし、館や図書室がある。
Vでも同様に天空城に人(天空人)がいて、マスタードラゴンを支えている。
- 夢世界の住民たちが子孫として現実世界に根付き、寿命の長い独自の種族を形成していった?
- あるいはVIで残ったゼニス城に、細々と残留した住人や新たに集まった特別な人々が“天空の民”として進化した?
ここは公式設定でも断片的ですが、想像の余地がたっぷり。
ファンタジーの醍醐味です。
DQIVとDQVの勇者は血縁関係があるのか
IVの勇者は“天空人と人間のハーフ”。
Vの主人公は、“エルヘブンの民”の血やらいろいろ混ざってるが、妻側(ビアンカ、フローラ、デボラ)に“天空人の血筋”があったという設定が一部資料で示唆されている。
- 「IVの勇者の直系の子孫がVの花嫁となり、そこに主人公の血統が加わって生まれるのがVの息子(天空の勇者)」という説もある。
- 公式で断言はされていないが、多くのファンが「そうだろう」と推測。
要するに、「IVの勇者の遠い子孫がVの花嫁」という可能性が濃厚ということ。
結果、Vの息子が正統な“天空の勇者”として覚醒し、大魔王を倒す力を得るという流れ。
もともとDQシリーズは“はっきり語らない部分”を楽しむのが醍醐味でもあり、公式に断定されていない点もミステリアスですよね。
エスタークがIVにもVにも出る謎
IVで倒されたはずの“地獄の帝王”エスタークが、Vでは裏ダンジョンで眠っています。
いったいどうやって生き延びたのか?
どこから来たのか?
これもファンの間で議論が続くテーマ。
- IVの時点では不完全体の状態で封印され、Vの時代までちゃんと始末されていなかった?
- エスターク自体が不死身に近い存在で、封印→復活を繰り返している?
何にせよ、DQVでプレイヤーと再戦するエスタークはめちゃくちゃ強く、何ターン以内に倒すかというやり込み要素。
対戦相手としては文句なしに盛り上げてくれます。
天空シリーズはドラクエのもう一つの神話総括
ロトシリーズ(I〜III)が“勇者ロトと竜王”を中心に“世界のはじまり”的な神話を築いたのに対し、IV〜V〜VIは“天空城とマスタードラゴン”を神格として構築された別の神話体系と言えます。
- VIの夢世界から現実へ渡ったゼニス城を起点とし、IVで天空の勇者が誕生、Vでその子孫が魔界を封じる……という大きなうねり。
- キャラクターとしては、IVのオムニバス群像劇、Vの親子三世代物語、VIの夢と現実を巡る冒険という3つのテイストが全く異なる。
- それでいて、最後に“天空城”という共通ワードがすべてを繋いでいる。
個人的には「IV(導かれし者たち)」が一番好き、という声もあれば、「V(天空の花嫁)」こそ至高、という熱狂的ファンも多い。
VIが好き、という人ももちろんいます。
どれを刺しても名作。
語り始めると止まらない、というあたりがまさにドラクエの魅力を象徴しているシリーズです。
プレイヤーの年齢や当時の思い出、どのハードで遊んだかなどでも思い入れが違うと思いますが、いずれにせよ長く愛され続ける理由は、この
「親しみやすい王道RPG+家族・仲間・絆のドラマ+天空という壮大な浪漫」
という組み合わせにあるのでしょう。
もっと知りたい人へ:リメイク&関連作品あれこれ
- DQIV PS/DS版:第6章追加で、デスピサロ救済のストーリーがある。
- DQV PS2/DS版:新花嫁デボラ追加、隠しダンジョンなどのやり込み強化。
- DQVI DS版:仲間会話システムでキャラ同士の掛け合いが深まり、ストーリー理解が補完される。
- スピンオフ「ドラゴンクエストモンスターズ(テリーのワンダーランド)」:DQVIキャラ“テリー”の少年期。
- その他漫画・小説:公式サイドストーリーや設定資料集で、天界や魔界に関する追加情報が語られていることも。
これらを網羅すれば、もっと深い天空シリーズのバックボーンが見えてくるはず。暇さえあればDQの派生作品を漁りたくなる魔力にご注意を。
時を超えた空に響く伝説、あなたの心に結論
ドラゴンクエスト天空シリーズをVI→IV→Vの順で眺めるとき、私たちは“ある大いなる物語の始まりから終わり”を俯瞰できます。
- まずはVIで夢の世界から誕生したゼニス城が、現実世界へ実体化し、人々の記憶と歴史に残る。
- その数百年後、IVの勇者が魔族の脅威と戦い、天空城を訪れて自分の出自を知る。
- さらに100年後、Vで主人公が生まれ、父の死や母の行方不明など数々の苦難を乗り越え、最終的に子供こそが勇者として大魔王を倒す……。
何百年にもわたるこうした壮大な連鎖の中で、希望と愛が受け継がれていくのが天空シリーズの骨子。
そこには、家族や仲間を大切に思う気持ちや、時空を超えて繋がっている奇縁への感慨がぎゅっと詰まっています。
物語中には多くの悲劇もありますが、最後には人々やドラゴン、妖精など多種族が共存し、世界を立て直す未来が描かれる。
プレイヤーとしては、一作品だけでなく全部合わせて遊ぶとき
「なるほど、この時代まで世界は続き、天空城は何度も人間界を見守っていたのか」
「主人公の家系ってこんなに波乱万丈なのね」
とか、そういう大きなスパンを感じられてより楽しい。
実際、わたしもどのタイトルも2〜3回ずつプレイしているので、それぞれの良さが引き立つ形でリフレインしてます。
“天空”の名は伊達じゃない
ロトシリーズは“ロト伝説”という地に足の着いた勇者伝承が中心でしたが、天空シリーズは“一段高い空”から物語を俯瞰するような神秘性を帯びています。
ドラゴンクエストらしいモンスター育成やコミカルな演出も当然ありますが、その背後には「天空に浮かぶ城」「夢の世界」「人間以外の種族」といった幅広い要素が混在し、王道RPGながら幻想的な味わいを強くしているのです。
個人的には「空飛ぶ城」と「神竜」というモチーフは永遠の憧れ。
子供の頃、
「自宅の屋根がパカッと開いて家ごと空へ飛んでいったらなぁ」
なんて夢見がちだったわたしにとって、ドラクエIVやVで天空城を発見した瞬間はテンション急上昇でした。
今も忘れられません。
その興奮は、きっと多くのドラクエファンに共通するものではないでしょうか。
あなたはどの物語から踏み出す?記事の終わりに
ここまでかなり長々と解説してきましたが、天空シリーズの魅力を端的にまとめると:
- DQVI:夢と現実、自己発見、ゼニス城の始まり。
- DQIV:複数主人公の群像劇、天空の血を引く勇者、魔王デスピサロの悲恋。
- DQV:親子三代、主人公=勇者の父、家族の愛と試練、大魔王ミルドラース討伐。
どれか一つだけでも名作ですが、全て遊ぶと“天空城”が世界の真上にどっしり居座っているイメージをより強く感じられるはず。
ストーリーを知っていても、いざプレイすると何度でも涙腺が緩むシーンや、
「あぁ! そんな台詞もあったな」
なんて発見があるから、何周しても飽きないんですよね。
まったく罪なゲームだなぁって思います。
以上、ドラゴンクエスト天空シリーズの時系列順(VI→IV→V)での解説・考察・全力ネタバレをお届けしました。
結局どれを優先して遊ぶか、あるいはリメイク版をやるか、そこはあなたの自由です。
何度も言うようにネタバレ知ってても面白いのがドラクエ。
もし未プレイの方がいたら、ぜひこの機会に一度触れてみてください。
気がついたら朝になってるほど熱中するかもしれません。
私も家族の目を盗んでは、リメイク版やスマホ版をポチポチ進めることがありますが、
「時間が溶ける…怖い…でもやめられない…」
というループに突入しがちです。
そこに気をつけるだけはお忘れなく。
睡眠は大事。
そんなわけで長文駄文、ご精読ありがとうございました。
天空シリーズの壮大さは、語っても語り尽くせないほど深い。
何か、ふと夜空を見上げたとき
「ドラクエの天空城って、もしこの星のどこかに浮かんでいたら素敵だなぁ」
とか夢想してみるのはいかがでしょう。
ではでは、あなたの冒険が素晴らしい旅になるように――。