ファミコン版からPS・DS・スマートフォン版などのリメイクを含む全バージョンを網羅しながら、作品の奥深い考察を展開する長文記事です。
物語の骨子からキャラクターの心理、そしてファンコミュニティで語り継がれてきた謎や裏設定まで、すべてを惜しみなくつづります。
未プレイの方やネタバレ回避をお望みの方は、まるでからし入りのシュークリームをうっかり頬張るような衝撃を味わう可能性がありますので、十分にご注意ください。
リメイク版の「序章」「第6章」を含む追加要素についても深く掘り下げるため、結末の核心部分もまるっと解説します。
わたしゃ息子の宿題を手伝いながらPS版をプレイし、夫の料理当番日にDSで続きをやり、スマホ版は義父に「いつまでゲームしとんね」と言われながら風呂上がりに隠れてプレイした経験がありますが、そのどれもが愛おしい思い出です。
心にゆとりとホットミルクを片手に、お読みいただければ幸いです。
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ドラクエ4 全章の流れと緻密な考察
ファミコン版・リメイク版の相違点や、登場人物の裏設定、小説版やCDシアター版の差分にも触れつつ、物語を深く味わっていきます。
1章ずつ物語が進むたびに、主人公が変化するというオムニバス形式の構成が最大の特色であり、それゆえに展開される群像劇が魅力的です。
これは朝の通勤電車が目的地によって乗客がガラッと入れ替わるのに似てますね。
わたしが乗る山手線は池袋でスーツ姿のサラリーマンが大量に降りて、代わりに制服の学生さんが乗り込んできますが、ドラクエ4は章ごとにこんな感じで主役が入れ替わります。
リメイク版では第6章が追加され、悲劇の魔王が仲間になるというまさかのIFストーリーが展開されるなど、ファンを沸かせる要素も盛りだくさん。
とにかくここからは、細部まで根ほり葉ほり語ってまいります。
序章:リメイク版で描かれる勇者の故郷
リメイク版にて初めてプレイヤーが実際に操作できるようになったパートが「序章」です。
ファミコン版では第5章冒頭でさらっと回想されるだけでしたが、リメイク版では「勇者の村での日常」をじっくり体験できるようになりました。
平和すぎる村の日常と不穏な伏線
山奥の小さな村で、17歳前後の少年または少女(プレイヤーが命名)が暮らしています。
両親や幼馴染のシンシアとともに、ほがらかにトマトを育て(実際には育てていないかもしれないがイメージ)、のどかに笑い合う日々。
うちの息子が学校のトマト栽培でモソモソしているのと同じくらい牧歌的な雰囲気でしょうか。
シンシアがモシャスで勇者に化けては「どう、似てる?」とジョークを飛ばしたりする姿は、まさに青春の1ページ。
これは私が高校時代に友達の制服を借りて別のクラスに紛れ込もうとした黒歴史を思い出させますね(当然バレました)。
しかし夜更け、父親が意味深に「お前が旅に出る日が来るかもしれない」と語るあたりから、村の平穏の背後に濃密な"運命"が立ち込めていることを匂わせます。
これって、わが家の義父が「いつか私らが死んだら、この家はお前たちのもんよ」と晩酌中に急に言い出すのと同じくらい、空気が凍りつくシーンです。
むしろこの時点から、自分が世界を救う伝説の勇者だと察していたら驚異的すぎる嗅覚ですが、ゲームのキャラクターたちはまだそこまで分かりません。
リメイク版独自の演出意図
これによってプレイヤーは、勇者がいかに大切な仲間や家族、村人と共に暮らしていたかを肌で感じ取り、第5章で訪れる悲劇をより鮮明に追体験することになります。
ファミコン版では端折られがちだった"愛着"や"日常"が描かれることで、後の展開に涙腺への波状攻撃を受けるプレイヤーも少なくありません。
私がうっかり義母の味噌汁レシピを忘れて再現できなかった時の義母の「まぁいいよ」という言葉の裏にある複雑な感情を読み取るよりも、はるかに分かりやすく喪失感が演出されています。
第1章王宮戦士ライアンと失踪する子どもたち
ここから、オムニバス形式らしく視点がガラッと変わります。
次の主人公は王宮戦士ライアン、筋骨隆々でピンクの鎧がチャームポイント(?)な中年男性。
いわゆる"渋カッコイイ"オジサンを主役に据えて始まるのが第1章です。
会社の総務部の課長さんみたいな、ちょっと頼りになるけど融通が利かない感じの人が主役になった感じですね。
でもピンク鎧というファッションセンスは、うちの夫があの蛍光イエローのランニングシャツを「これカッコいいでしょ?」と着て走りに行くのに匹敵するセンスだと思います。
バトランド王国と子ども誘拐事件
北の大国バトランドでは、子どもが次々に姿を消すという不気味な事件が発生。
国王は王宮戦士ライアンに事態の調査と解決を命じます。
ライアンは王命に忠実かつ正義感も強いため、村々を巡り聞き込みを行ううちにイムルの村で出会った青年アレクスを助け、事件に巻き込まれた子どもの痕跡を追うことに。
これはまるで会社の優秀な先輩が新入社員を連れて緊急の顧客トラブル対応に向かうようなもんですね。
そして古井戸の底で奇妙な"ホイミスライム"と遭遇。
さらにまるで某魔法の靴のような「そらとぶくつ」を入手することで、湖上の塔へと乗り込みます。
ドラクエ史に残る"靴で空を飛ぶ"というアイテムは後にも先にもあまり多くないため、プレイヤーが「これ何?」とワクワクする要素をかき立てます。
電車の終電を逃した時に「そらとぶくつ」があったらどんなに便利かと思ったものです。
ホイミンと魔物の計略
古井戸で出会うホイミスライムは"ホイミン"と名乗り、人間の言葉を話し「いつか人間になりたい」と憧れを語る不思議なモンスター。
うちの息子の友達で「大きくなったらアイスクリームになりたい」と言い張っていた子がいましたが、それに匹敵する夢ですね。
これだけで「魔物は敵」という固定観念が揺らぎ始めるのが、ドラクエ4の面白いところです。
湖上の塔で"ピサロの手先"を名乗る魔物たちが、伝説の勇者を幼いうちに抹殺しようと企んでいることが判明。
これはわが家の猫が夜中にこっそり私の唐揚げを狙うような計画性と悪意を感じますね。
ライアンは激戦の末、子どもたちを救出し、このまま国王に報告すればメデタシ…と思いきや、まだ見ぬ"勇者"を守るため、自ら旅立つ決断をします。
第1章の役割
この章はドラクエ4の"最初の顔見せ"に近い構成で、ゲームシステムや世界観に馴染んでもらう狙いがあります。
ライアンの視点で魔物の不穏な動きと「ピサロ」という名を初めて認知し、ユーザーも「一体誰なんだ、ピサロって」という興味を抱くという仕掛けでもあります。
まるで会社の新人研修で「この会社の社長、あの大きな取引に失敗した責任者なんだよ…」と噂話を聞かされるような感じで、プレイヤーの興味をそそるんですね。
第2章姫アリーナとサントハイムの謎
次に登場するのは、サントハイム王国の王女アリーナ。
世間一般の「姫」というイメージを粉砕するほど活発で、おてんばな格闘家です。
サントハイム城の壁を正拳突きでぶち破り、外の世界へ旅立つというインパクト抜群の幕開けは、80年代後半当時のRPGでは異例のキャラクターづくりでした。
彼女はうちの会社の若手女性社員で、「お茶くみは古いわ!」と言いながらも、社長の前では「お茶いれましょうか?」と微笑む、あの二面性を持った子を連想させますね。
でもアリーナはもっと爆発力があります。
壁を拳でぶち抜くなんて、うちの息子の2年生の学級会で意見が通らなかった時の大泣きよりも破壊力があります。
武術大会での大暴れ
道中、自分そっくりのニセ姫誘拐事件や、魔物退治の騒動に首を突っ込みながらも、最終目標はエンドールで開催される武術大会への参加。
賞品が「エンドール王女との結婚権」という斜め上の発想から、大いに盛り上がります。
これってまるで、会社の運動会の優勝賞品が「社長と1週間席を交代できる権利」みたいなもので、誰も本当には欲しくないけど面白いから参加するみたいな…。
アリーナは決勝まで勝ち上がるものの、対戦相手である"デスピサロ"は現れず不戦勝。
あれほどの実力者の姿を見ずに終わってしまう展開に、プレイヤーは「ん? デスピサロってピサロと同一人物なのか…? なんだか名前似てるけど」とモヤモヤを抱えます。
これは義母が「あれ持ってきて」と言った時に、「あれって何のことですか?」と聞き返したら「ほら、あれよ、あれ!」と言われるモヤモヤ感に似ていますね。
ここが実は大きな伏線で、後の章になると「そういうことか!」と腑に落ちるのですが、当時初プレイの人にはかなり衝撃でした。
サントハイム消失事件
武術大会を終え、意気揚々と帰国したアリーナ一行(神官クリフトと老魔法使いブライを連れ帰ってくるのもポイント)を待っていたのは、王も民も全員がいなくなったサントハイム城の異様な静寂。
パタリと姿を消した原因は、ストーリーが大きく動く第5章にて回収されることになりますが、この"城ごと忽然と消える"という事態がDQ4特有のミステリアスさを高めます。
これはわたしが長崎から上京して初めて一人暮らしした時、地元の親戚から突然連絡が途絶えて「みんな火山に飲み込まれたんじゃなかろか!?」とパニックになったのと同じくらいのショック度です(実際は親戚のおばさんが電話番号を間違えて控えていただけでした)。
王様の声が出なくなるイベント、エスタークの復活を警告する夢など、伏線が目白押しで、この章をじっくり味わうほど「何が起きてるんだ?」というワクワクが倍増する構成です。
第3章商人トルネコの野望と人助け
第3章で主役となるのは、戦士でも姫でもなく、武器屋の見習い商人"トルネコ"という異色の存在です。
世のRPGでは珍しい「商人主人公」という設定で、家庭もあるお父さんキャラ(妻ネネと息子ポポロ)という親しみやすさが際立ちます。
ここに大共感です!トルネコは40代で家族持ちという時点で、私みたいな会社員兼業主婦から見ると「やっと自分に近い主人公が出てきた!」と思える存在です。
お金のやりくりに四苦八苦するリアルさがたまりません。
お弁当箱を家に忘れて、コンビニでランチを買う時のあの「無駄な出費…」感を体現したキャラクターです。
商才を駆使した人助け
トルネコは商人らしく、お金儲けや仕入れ・転売・交渉などの要素がふんだんに盛り込まれています。
しかも、隣国同士の戦争を恋文で回避させるなど、戦士たちとは違うやり方で世界に平和をもたらすのが面白いところ。
うちの息子が幼稚園時代に喧嘩してた男の子二人を「ほら、あの子もチョコいるけん、分けとあげなさい」とチョコ一粒で和解させた母の知恵と同じですね。
武器店をエンドールに開業し、ピンクのレオタードが売れるか否かで一喜一憂したり、大金を調達するために女神像を売却したりと、プレイヤーの商魂が試される展開です。
トンネル開通と後の物語への影響
トルネコは6万ゴールドという大金を投じてエンドールと北のブランカ地方を結ぶトンネルを開通させます。
これは勇者が世界を回る上で非常に重要なルートとなり、第5章に繋がる仕掛けとして機能。
第3章はコミカルに見えつつ、実はメインストーリーの大きな歯車を作り出すというのがポイントです。
これぞまさに「家計を預かる者の決断」!うちは家のリフォームを決めた時、夫と「今使って後々助かるか、今我慢して別のことに備えるか」で二週間ほど議論しましたが、トルネコは一人でこの決断をしたんですから立派です。
未来への投資ってやつですね。
世界一の武器屋という夢
お店が繁盛しても「世界にはもっとすごい武器があるはず」と冒険に出たくなるのがトルネコの野望。
ファミコン版での"仲間AI暴走"やリメイク版で追加された要素はさておき、商人としての行動が後にDQ4外伝「トルネコの大冒険」シリーズへ繋がる起点になったと考えると、その存在感は計り知れません。
これは私が昇進を目指して資格を取りに夜学に通ったのと同じ向上心かもしれません。
違いは、私は電車で眠りながら簿記の本を読んでいただけで、トルネコはモンスターと戦いながら武器を探していたということですが…。
第4章踊り子マーニャと占い師ミネアの復讐
第4章の主人公は、モンバーバラの踊り子マーニャと占い師ミネアの姉妹。
鮮烈な衣装の踊り子と清楚な雰囲気の妹、という対照的なキャラ付けもあってインパクト十分ですが、その背後には「父エドガンの仇を討つ」という重い動機が隠れています。
この二人組、うちの会社の営業部と経理部の女性社員みたいですね。
営業はド派手なスーツで「今月もバッチリいきましょう!」とハイテンション、経理は地味目な服装で「前月の経費精算が未提出ですよ」と淡々と指摘してくる…。
でも二人とも「社長に認められたい」という共通の野望を持っているという。
進化の秘法の研究者だった父
姉妹の父エドガンは錬金術師で、"進化の秘法"という禁断の知識を研究していました。
しかし、父の弟子バルザックがその研究成果を奪って師を殺害し、魔物側についたというのが姉妹の復讐劇の始まり。
これは会社の機密情報を持ち出して競合他社に転職した元同僚を思わせますね。
ドラクエ4全体を貫くキーワード「進化の秘法」は、のちのエスタークやデスピサロが使う手段でもあり、姉妹が追うバルザックが第5章でも再登場するなど、シリーズ全体の要素を繋げる軸として大きな役割を果たします。
キングレオ城での死闘と脱出
オーリンという父の弟子仲間(頼れる戦士NPC)を仲間に加え、キングレオ城に乗り込んだマーニャ&ミネア。
バルザックを一度倒して復讐を達成するものの、進化の秘法によって怪物化したキングレオに逆襲されるという悲劇。
ここは「プロジェクト成功!と思いきや、上層部に突然ボツにされた」という会社あるあるを思い出させますね。
オーリンが犠牲となって姉妹を逃がす展開は"仲間ロスト"の喪失感とともに、第5章で再びバルザックと相まみえるという布石を強く印象づけます。
姉妹が逃亡の果てにエンドールへ辿り着く場面で第4章は幕を下ろし、「伝説の勇者を探さねば」という目的意識を高めるのです。
第5章勇者の悲劇と導かれし者たちの集結
ここからは、物語の中心に「勇者」が据えられます。
ファミコン版ではプレイ開始直後に第5章の勇者を操作したため、事実上ここが"メインシナリオ"としてプレイヤーが最初に体験する箇所でしたが、リメイク版では序章でより深く勇者の村を体験した後に、悲劇的な襲撃へと展開していきます。
これは朝ドラで前半は平和な田舎暮らしを描いておいて、突然「実は主人公は大企業の御曹司の隠し子だった!」とドラマが急展開するような衝撃を与えてくれます。
まさに休日のごろ寝から「あ!今日息子の運動会だった!」と飛び起きるような心臓の動き。
心の準備ができていないのに悲劇に直面するという…。
村の襲撃とシンシアの犠牲
平和だった勇者の村が、魔族の王デスピサロ(ピサロ)率いる軍勢により一夜にして焼き払われます。
ピサロの狙いはただ一つ、「伝説の勇者の抹殺」。
幼馴染シンシアがモシャスを使って勇者に化け、「私こそが勇者よ!」と名乗り上げて命を落とすシーンは、ドラクエ4の中でも屈指の衝撃展開。
うちの息子が「ママ、学校で私がやった悪いことって言っておいて」と頼んできた時の母性本能をくすぐられる感覚に近いものがありますが、シンシアはそれを命を懸けてやるんです!村は焼け落ち、家族や仲間を失い、勇者は絶望の淵から立ち上がることを迫られるのです。
世界を巡り仲間を集める旅
勇者が外の世界へ出ると、これまで独立した章で活躍していたキャラクターたちと運命的に出会い、導かれるように合流していきます。
- マーニャ&ミネア:エンドールで早々に合流。
- トルネコ:大灯台奪還のイベントで協力し、船を入手。
- アリーナ一行:ミントスにてクリフトの看病を機に仲間になる。
- ライアン:キングレオ城での再会。
これって新人歓迎会で「あれ?あなたって前の部署でも会ったよね?」「え、同じ電車で通勤してたの!?」「大学の先輩だったの!?」みたいな偶然の再会が重なるような妙な縁を感じますね。
最終的に8人もの"導かれし者たち"が勢ぞろいし、馬車システムを使って戦闘メンバーを柔軟に組み替えながら進むスタイルは当時画期的でした。
サントハイムとバルザック再登場
失踪したサントハイム城を救うため、進化の秘法でパワーアップしたバルザックを再び倒す展開があり、アリーナが父王や民を救出。
姉妹も父の仇を討ったかに思われますが、バルザックは「黄金の腕輪が…」という意味深な言葉を残し消滅。
これはうちの会社の元・問題社員が退職前に「実は社長、重要なデータがあるんですけど…」と言い残して去っていったのと同じ不穏さがありますね。
こうした細かい要素がピサロの計略や"進化の秘法"の謎へ繋がる伏線として機能しており、ストーリーへの没入感が一層強まります。
ロザリーヒルとエスターク復活
魔族の廃村ロザリーヒルで出会うエルフ少女ロザリーは、デスピサロの恋人でありながら、彼の狂気を憂いて「彼を止めて」と勇者たちに懇願します。
うちの義母が「あの子が結婚したい言うなら止めんでよ。
でも家に連れてこんで」と複雑な表情で言ったのと同じ葛藤を抱えているように見えますね。
一方、廃坑アッテムトでは地獄の帝王エスタークが復活し、命がけの激闘が始まりますが、目覚めて間もないエスタークは本調子でなく撃破されます。
まるで夫が風邪明けなのに「もう大丈夫」と言って会社に行こうとして、玄関で力尽きるようなものです。
そこへ現れたピサロは、最愛のロザリーが人間に殺されたと聞かされ、激怒。
こうして、ピサロの復讐心は最終段階へ加速していきます。
天空城とマスタードラゴン
気球で空に上り、天空城(ゼニス城)へ到達した勇者たちは、マスタードラゴンから"天空の剣"に真の力を授けられます。
リメイク版では「ルーシア」や「ドラン」の存在もあり、天空シリーズの神秘性をいっそう強烈にアピール。
この天空城、わたしにとっては「転勤して東京本社に初めて行った日」の高揚感を彷彿とさせます。
マスタードラゴンは社長にあたりますね。
天空の剣に力を授かるというのは「部長から直々に重要プロジェクトを任される」レベルの名誉です。
エスタークの復活やピサロの暴走を止めるため、勇者たちは人間界と魔界の境界線を巡り、ついに最終決戦へ向かうことになります。
デスキャッスルの四天王と最終決戦
ピサロの居城"デスキャッスル"には結界が張られており、四天王(エビルプリースト、ヘルバトラー、ギガデーモン、アンドレアル)を倒して結界を解除。
最深部で進化の秘法によって"デスピサロ"へ変貌したピサロが待ち受けます。
この四天王、わたしゃ東京の転勤先で出会った「冷酷庶務課長」「理不尽経理部長」「納期厳守技術長」「笑顔の鬼営業次長」を思い出します。
どれもこれも会社の敵のようでいて、実は会社の仕組みを回すために必要な存在だったことを後で知ったものです。
言葉も通じないほど理性を失い、6段階もの変身を経て襲いかかるデスピサロとの決戦はドラクエシリーズ屈指の長期戦。
激戦の末、ファミコン版ではここでエンディングを迎え、世界に平和が戻ります。
これは義実家での大掃除の日と同じくらいの長丁場でした。
しかし、リメイク版にはもうひとつの結末が用意されているのです。
第6章IFストーリーと真の黒幕の正体
リメイク版で追加された第6章は、ファミコン版で完結していた物語をさらに掘り下げる"後日談"または"IFストーリー"にあたります。
ここは意見が分かれるところですが、一部プレイヤーにとっては「夢のような展開」でもあり、また「蛇足では?」という声も少なくありません。
これは連続ドラマの完結から10年後に突然「実は主人公死んでなかった!新シリーズ始まります!」と発表されたような衝撃です。
私の東京一人暮らし時代のドラマにハマりすぎて、続編が発表された時に「キャー!!」と奇声を発したあの感覚を思い出しますが、同時に「ここで終わってもよかったんじゃ…」という複雑な気持ちも。
世界樹の花によるロザリー復活
デスキャッスル決戦直前、ゴットサイドの町に謎の穴が開き、その奥の隠しダンジョンでエッグラ&チキーラという魔物を倒すと、世界樹に1000年に一度だけ咲くという奇跡の花が手に入ります。
これをロザリーヒルの墓に捧げることで、ピサロの恋人ロザリーが蘇生。
彼女が再び生きていると知ったピサロは、"人間に殺された"という怨恨が霧散し、理性を取り戻すという大転換を迎えます。
まるで義母の「あの味噌汁の作り方、もう教えんからね!」という拒絶が、息子が「ママの味噌汁のレシピ、祖母が書いたものを見つけたよ」というひと言で氷解するかのようです。
(実際にはもっと複雑な和解プロセスが必要でしたが…)
エビルプリーストこそ真の黒幕
ロザリー殺害を仕組んだのはピサロではなく、配下を装っていたエビルプリーストだったと判明。
人間に責任を押し付けることでピサロの憎悪を煽り、世界を混乱に陥れようと画策していたのです。
これはうちの会社のあのどこか胡散臭い顧問が「社長、あの部署は使えませんよ」と耳打ちして部署間の対立を煽っていたのと同じ卑劣さです。
ロザリーを得たピサロは勇者に感謝し、真の黒幕エビルプリーストと戦うために仲間に加わります。
元ラスボス級が仲間になる衝撃は、当時大きな話題を呼びました。
人間と魔族の共闘
エビルプリーストが進化の秘法を使い究極の魔物化を遂げても、両者の和解によって完成されたパーティに立ち向かう隙はありません。
勝利後、ピサロはロザリーとともに静かに姿を消し、「世界を滅ぼそうとした魔族の王」とは思えないほどしれっと人間界を去る結末に至ります。
これは結婚式で「絶対に出席しない」と言っていた夫の元カノが、突然出席して祝福してくれて、そのままさっと退席していったかのような気まずくも清々しい感じですね(想像ですよ!)。
復讐と憎悪の連鎖が解き放たれ、"救済"のメッセージを強調するのが第6章の大きなテーマとも言えるでしょう。
シンシア復活の謎
リメイク版のエンディングでは、勇者の故郷の村に行くと死んだはずのシンシアが突然現れ、「おかえりなさい」と微笑む演出があります。
説明らしい説明はなく、明確にロザリーの花の力が関係したとは語られませんが、プレイヤーにとっては嬉しいサプライズ。
ドラマの完全版DVD特典映像で、「実はあのシーンのその後がありました」的な感じですね。
"これも世界樹の花の奇跡?"と考えるもよし、"マスタードラゴンの粋な計らい"と想像するもよし、自由に受け取れるようになっています。
私は「会社の人間関係も、ちょっとした魔法(=思いやり)で復活することがある」的なメッセージに感じました。
登場人物・設定へのさらなる考察
ここからは、ドラクエ4のキャラクターや設定を超俯瞰的に眺めながら"なぜそんな展開なのか?"を考察します。
深堀りすぎて海底火山に到達しないよう気をつけつつ、物語の裏側を探っていきましょう。
勇者(天空人の血筋)
勇者が天空人のハーフである可能性
作中では直接語られませんが、公式ガイドブックや後年の資料から"母が天空人"である示唆があります。
DQ4が"天空シリーズ"の中編に位置づけられ、DQ6→DQ4→DQ5という流れで言及されるようになったことで、DQ4勇者が天空城と縁深い存在である理由が納得できます。
これはわが家の息子が「なんでカレーが好きなの?」と聞かれて「知らない」と答えていたけど、実は私も夫もカレー好きで、家系的に受け継がれている可能性が高いようなものですね。
主人公が話さない故の個性
ドラクエ伝統の"喋らない主人公"ですが、実は周囲の仲間たちがよく喋るため、より主人公の包容力が際立ちます。
シンシアの死を糧に、世界の危機に挑む姿が静かに胸を打つという演出意図も感じられます。
うちの夫が家族の会話で黙って聞いていて、たまに一言「まあ、そうだな」と言うだけで何となく解決する「話さないけど存在感」に近いものがあります。
シンシアの存在と復活論
犠牲で始まる動機
勇者が村を襲われただけでなく、幼馴染が身代わりになって死ぬという悲しみが、第5章を突き動かす原動力になっています。
それだけに、第6章のエンディングで唐突に再会できる展開に賛否があるのも事実。
新たな希望を象徴する演出
一方で、第6章が"許し"や"救済"をテーマに据えているため、「愛する者を失った人にも救いがある」という優しいメッセージをユーザーに与えるのがシンシア復活というエピソード。
あまり深く理由づけされずに示されるので、余韻を楽しむファンも多いのです。
これはうちの息子が幼稚園の発表会で「お母さんを助けたい」と言ったセリフを聞いて、私が電車の中で急に泣き出してしまう感動に近いものがあります。
その理由を詳しく説明できないけれど、心に染みるという体験です。
デスピサロ(ピサロ)とロザリー
魔族の王は悲劇の恋人か、許されざる虐殺者か
ピサロは愛するロザリーを人間に殺害されたという怒り・悲しみを理由に世界を滅ぼそうとしますが、彼の軍勢は勇者の村を焼き払い多くの命を奪った事実が消えるわけではありません。
会社の人間関係で例えるなら「上司にひどい扱いを受けたからって、部下に八つ当たりしていい理由にはならない」という当たり前の道理に似ていますね。
そのため、第6章の和解シナリオを「ご都合主義」と見る人もいますし、「憎しみの根本が騙された情報なら、真相が解決されたら憎しみも消えるのは筋が通る」という意見もあります。
ドラクエシリーズ屈指の道徳的議論を呼ぶキャラクターです。
ロザリーの蘇生は愛の勝利か
世界樹の花でロザリーを蘇らせる流れは、"苦しみの果てに明かされた真実"というドラマ性を高め、ロザリーが直接ピサロを正気に戻すという演出を可能にしました。
魔族と人間の間に生まれた純粋な愛が、世界規模の争いを止める鍵となる点はロマンですが、そこにリアリティを求めるかどうかは各プレイヤーのスタンス次第でしょう。
東京と長崎の遠距離恋愛から結婚にいたった私たち夫婦の経験からしても、「愛は距離を超える」というロマンには共感しますが、「でも実際の生活は電話代とか交通費とか現実的な問題もあるんよね」という側面も忘れられません。
ホイミンの夢
人間になりたいホイミスライム
ライアンとともに冒険を始めたホイミンは「人間になってみたい」と語り、リメイク版エンディングでは人間の青年"ドラン"へ転生した姿で現れます。
モンスターだって純粋な心を持つし、種族の垣根を超えて友愛を育めるという、DQ4の温かいテーマを象徴するキャラクターです。
うちの会社の新入社員が「いつか課長みたいになりたいです!」と言っていたのに、3年後には本当に若手課長になっていた逸話を思い出します。
願いは時に叶うものですね。
魔物にも感情がある世界観
この世界では、魔物たちもただ凶悪で人間を襲うだけでなく、ホイミンのように人間を慕う者や、ロザリーのように人間と共存したいと考える者がいる。
ピサロ軍が一括で"悪"だと切り捨てられない要素は、DQ4のシナリオを一筋縄ではいかなくしている理由の一つです。
これはまるで、会社の「あの部署は使えない」という偏見が、実際には「あの部署にも頑張っている人がいる」という真実に気づくようなものです。
トルネコの商魂と世界観への影響
国境を結ぶトンネルの開通
普通なら国家プロジェクトで進めるような大型公共事業を、たった一人の商人が資金を集めて実現するという展開はユーモラスですが、これこそまさしくDQ4の自由度と遊び心を象徴する要素です。
うちの息子が学校のバザーで「ママ、募金活動やりたい!」と言い出して、クラスメイト全員からお小遣いを集めて被災地に寄付したときの小さな達成感が、規模は違えど似ているかもしれません。
外伝シリーズの主役
トルネコの人気は「トルネコの大冒険」へ発展し、不思議のダンジョンシリーズのはしりとなりました。
多くのプレイヤーが「なぜトルネコ?」と驚きつつ、その人懐っこさと商才に惚れ込んだという点で、ドラクエ4は商人キャラのポテンシャルを開花させたタイトルとも言えます。
私がPTA役員時代に「会計係やります」と言ったら意外に周りから「頼もしい!」と言われて、翌年も同じ役を任されたようなものかも。
脇役だと思っていた自分が主役になるという展開は、中年になると特に嬉しいものです。
小説版・CDシアター・外伝作品との繋がり
小説版(久美沙織)
小説ではピサロとロザリーの関係、魔界での権力争いがより深く描かれ、大人向けの要素が追加されています。
特に恋愛面や魔族の葛藤など、ゲーム本編で語られない領域にも踏み込むのが特徴です。
これはドラマの原作小説で「あのキャラクターはこんな過去があった」と知って「え、そうだったの!?」と驚くのと同じですね。
私は単行本派なので、連載を追っていた夫に「それ知らんかった!」と言うことがあります。
CDシアター
声優によるドラマCDで、勇者"レイ"など固有の名前やセリフが設定されるなど、キャラクター同士の掛け合いが豊富に補完されています。
ゲームをプレイしたあとに聴くと、シーンごとの心情がよく分かるため、ファンにとっては貴重な音源でしょう。
これは映画の吹き替えとセリフ集みたいなもんですね。
電車通勤中にこっそりイヤホンで聞きながら「ふふふ」と笑っていると、隣の乗客に怪訝な顔をされるというあるあるがあります。
DQM3(モンスターズ3)など
近年では、若き日のピサロが主人公となり、ロザリーとの出会いを描くスピンオフ作品も制作され、DQ4世界がさらに深まっています。
ただし、これらはパラレル設定を含むため、本編との齟齬をどう扱うかはファンの考察が盛り上がるポイントです。
これは長寿ドラマのスピンオフ作品みたいなもんですね。
「あの二人が結婚する前はこんな関係だった」というのを後から知るのは、既存ファンにはたまらない楽しみです。
リメイク版の改良と長きに渡るファンの議論
ドラクエ4は1990年のファミコン版を皮切りに、2001年のPS版リメイク、2007年のDS版、そしてスマホ移植へと至る過程で数々の改良と追加が行われました。
その中で最も大きな変更点が"第6章の追加"であり、これは「FC版時代にはできなかったアイデアを詰め込んだ」というスタッフの想いが背景にあります。
これは「家を建てた当時はお金がなくて諦めたものを、10年後のリフォームで追加する」という家庭あるあるに近いですね。
うちの義実家も当初は質素だったキッチンを、10年後に豪華なシステムキッチンに変えたのを思い出します。
AI戦闘から「めいれいさせろ」への進化
ファミコン版の第5章では、仲間を"作戦"でしか制御できず、クリフトがボス戦でザラキを連発するなどの迷エピソードが生まれました。
リメイク版では手動操作可能な「めいれいさせろ」コマンドが追加され、格段に戦術の幅が広がりました。
これは「息子よ、自分で考えなさい」と言っていたのが、「ああもう!やっぱりママがやるわ!」となるような、親のコントロール欲求を満たす進化です。
あるいは新入社員に「自分で考えて」と言っていたのに、締め切り間際になって「私が直接指示します」と変わる中間管理職の心境とも似ています。
仲間会話システムでのキャラ深堀り
DS版・スマホ版では仲間会話が実装され、ストーリー中のちょっとした場所で仲間がユニークなコメントをくれる仕掛けに。
アリーナが無邪気な発言をしたり、トルネコが商人目線のジョークを言ったり、ミネアが淡々と分析したりと、キャラ同士の掛け合いがさらに濃厚に楽しめます。
これは会社の飲み会で、普段はクールな経理部長が「実は猫10匹飼ってるんだ」と告白するような、意外な一面が垣間見えるワクワク感がありますね。
私も長崎から上京して10年経った頃に、地元の友達から「あんた、東京弁が混じっとるよ」と言われて初めて自分の変化に気づいたような。
第6章の是非
一部のファンは「ロザリーやシンシアが救われ、ピサロが仲間になる展開こそ本来のハッピーエンド」と喜び、一方で「復讐者があっさり仲間になるのは不自然」「悲劇を乗り越えるからこそ5章エンディングにこそ意味がある」という声も。
この"どちらが正史か"論争は今なお続いており、それ自体がドラクエ4を語る醍醐味でもあるといえます。
わたしゃ結婚当初、義理の両親との同居に「絶対に無理!」と思っていたのに、今では「まあ、悪くないかな」と思えるようになった経験からすると、時間が経てば憎しみも薄れるのも分かる気がします。
でも一方で「そう簡単に許せるものか!」という気持ちも理解できます。
両方の気持ちが分かるというのが、中年女性の複雑な心境というものでしょうか。
ファンコミュニティで語られる謎と考察
第5章エンディングか、第6章が真エンディングか
堀井雄二氏自身が「当時やりたかったことをリメイクで入れた」という発言をしたため、第6章の追加展開を好意的に捉えるファンも多いですが、公式が明確に「6章が正史です」と断言はしていません。
プレイヤーが好きな方を選べるのも寛容なスタイルです。
これは「実は原作の漫画では主人公は死ぬんだけど、アニメ版では生き残るの!どっちが好き?」みたいな議論ですね。
うちでいえば「カレーにはじゃがいも派」の夫と「にんじん重視派」のわたしの終わらない論争のようなものです。
ロザリーとシンシアの蘇生は正しいのか
ファミコン版では実現しなかった"死者が蘇る"大盤振る舞いに、シリアスさを損なうと感じるか、それとも愛する者の死を乗り越える救済として受け止めるかは意見が割れます。
ただしドラクエシリーズにおいては「世界樹の葉ですら蘇生アイテムとして扱える」など、"死"の概念がわりと軽妙に扱われる場面も多く、そこをどう解釈するかはプレイヤー次第です。
これは息子のハムスターが死んだ時、「新しいハムスターを買おう」と言った夫と「いや、ちゃんと向き合わせるべき」と言った私の育児方針の違いのようなものかも…結局、息子自身が「新しいハムスターが欲しい」と言って解決しましたが。
天空装備はなぜDQ5で壊れているのか
DQ4から続く天空シリーズでは、DQ5で主人公の子孫が(あるいはDQ4勇者の子孫なのかもしれない)天空装備を再収集する展開があり、「剣が砕けている」「兜が埋もれている」などの変化が見られます。
どうしてそうなったのかは公式で曖昧にされ、考察サイトが加熱しています。
これは実家の大事な茶碗が割れていて「誰が割ったの?」と聞いても誰も答えない、あの家族の謎みたいなものですね。
私は「義母が義父に怒った時に投げたんじゃないか」と密かに思っていますが、真相は藪の中です。
エビルプリーストとピサロの関係
第6章でエビルプリーストが裏切り者と明かされる一方、ファミコン版では単なる四天王の一角としてしか認識されずに終わります。
裏設定ではピサロを差し置いて世界征服を狙う悪党だったという展開は、リメイク版で初めて明文化された形。
ファンからすると「最初から伏線あったの?」という疑問も湧き、詮索が尽きない要素の一つです。
これは「実は社長、会社の金を着服していたんだ!」と同僚から聞かされて「えっ、あの温厚な社長が!?」と驚くようなもの。
でも振り返ってみると「あのときの不審な行動は、そういうことだったのか…」と納得する部分もあるという。
シンシア=エルフ説?
シンシアがモシャスを使えること、リメイク版でロザリーと同じように蘇生される可能性などから、「彼女はエルフの血を引いているのかもしれない」と考察される場合もあります。
ただし公式には何の確証もなく、完全にファンの想像です。
これはうちの義母が「あなたのお父さん、実はイタリア人の血が入っているのよ」と唐突に言い出したけど、義父の家系図を調べても全く証拠がないようなもの。
でも義父の「パスタへの異常な愛」を見ていると「もしかして…?」と思わなくもないという…。
終わりに
『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』は、オムニバス形式のストーリー構成、最大8人に及ぶ仲間による馬車システム、そしてAI戦闘など、発売当時のRPGとしては先進的な要素を多数盛り込み、多くのプレイヤーに衝撃と感動を与えました。
そして、リメイク版の追加要素やメディアミックス展開により、物語の奥深さはさらに倍増。
特に第6章でのIF展開は今でも賛否を呼ぶ大きなトピックですが、そのおかげで「ファミコン版の5章エンディング」「リメイク版の6章エンディング」どちらも愛され、それぞれの解釈がファンコミュニティで尊重されているのが、ドラクエ4という作品の稀有な魅力といえます。
また、ファンタジーRPGの枠組みを超えた「仲間同士の絆」「人間と魔族の種族対立と和解」「悲しみを乗り越える希望」など、様々な人間ドラマが随所に詰め込まれており、一度プレイしただけでは味わいきれないほどの情報量と感動が潜んでいます。
もし未プレイの方がネタバレ覚悟でここまで読んでしまったなら、ぜひ実際にゲームで物語を体験し、キャラクターたちとの時間を過ごしてみることをおすすめします。
ファミコン版、PS版、DS版、スマホ版など、どの形であっても一歩踏み込めばきっと"導かれし者たち"の想いと魂を感じ取れるはず。
プレイ済みの方も、改めてストーリーを振り返ると「あのシーン、こんなに深かったんだ」と新たな発見があるかもしれません。
発売から30年以上が経過してもなお、ドラクエ4は日本RPG史の金字塔的存在として輝き続けています。
未回収の伏線や公式が明かさない部分こそが、ファンの想像と議論を絶えずかき立てているのかもしれません。
これほど長期間にわたって語り継がれ、リメイクされ、議論し尽くされてもなお色あせないタイトルは、世界広しといえどもそう多くありません。
ドラクエ4の世界に触れた人々の数だけ、物語が生まれる――そんな魅力に満ちあふれた作品に、今後も熱い視線と愛情が注がれ続けるでしょう。